短いメールをいただきました。
ぜひ皆さまのお知恵を拝借(?)しながら、一緒に考えたい課題です。
なるべくクリスチャンである事を家族等に「あかし?」した方が良いとは思いますがどうしてもできません。
何か良き方策があればお教えいただきたいのですが。
お便りありがとうございます。
う〜〜〜ん。ホント、難しいですよね。
家族や親しい人ほど、なかなかクリスチャンであることを話しにくいものなのかもしれませんね。
でも、どうして言えないんでしょうね。
だって、クリスチャンであるって素晴らしいこと、喜ばしいことですよね。
なのに、人に話すのをためらってしまうのはなぜでしょう?
日本では宗教や信仰を持つ人が少数派だから?
宗教に対する警戒心が強いから?
じゃあ、日本に住む日本人である以上、自分の信仰のことを話すことは難しいのでしょうか?
どうしたら人に言えるのでしょう?
そもそも「あかし」するってどういうこと?
皆さまはどう思いますか?
ご意見や体験、疑問、「私はこう思う」「私もわからない」「私はこうしてます」などなど、ぜひコメントをお寄せください。
このコメントは8月5日まで受け付けています。
皆さまの声、お待ちしています。
皆さま、コメントをありがとうございます。
「あかしの良き方策は?」というご質問でしたが、皆さまのコメントをお読みして、「こうすれば良くあかしができます」という方策や、「上手にあかしできるようになる近道」のようなものはないんだなと思わされました。
そして、あかしが「できる」か「できない」か、自分で自己チェックする必要もないのかなと思いました。
自分自身がイエス様と出会い続けて、イエス様にどんなに愛されているかを知り続けていくこと。
そして自分の周りの人たちもイエス様にどんなに愛されているかに気づくこと。
「あかし」はそこから始まるのかもしれないですね。
こうして皆さまとご一緒に考え、分かち合えたこと、本当に感謝いたします。
証とても難しい課題ですね。実は私も家族に洗礼を受けたことを話せずにいます。私の家は代々商家として現在にいたるまため、家の中央には仏間があり、仏壇とご先祖様の各自の御位牌と写真がずらり並び、その隣には2メートル近くの神だながあるという典型的な家です。また隣には天台宗のお寺があるという家です。小さい頃からお経を聞いてそだったといってもいいでしょう。ですから一度信仰について話した時も頑として天台宗だからと両親は聴く耳もって下さいません。しかし洗礼を受ける前に牧師とこの事について話した時、そのような環境に生まれていたあなたが、神様に導かれ祈りイエス様を信じるように聖霊が働きかけているなら問題ないでしょう。神様は何もかもご存じの上であなたを召されたのですからあまりに思い詰めなくてよいのではないでしょうかとお話しくださいました。証はいつか導かれ祈りの中でできると思います。希望を持っています。だって自分は気がつか無かったのですが讃美歌を鼻歌うた混じりにうたっていたとき、いい歌だね❗ですって神様も少しずつ両親の心をほぐし、私がクリスチャンになった事を認めるように攻略中かもしれませんね。
久しぶりにこちらのサイト見まして一言です。私は28歳のとき、ある新興の宗教法人に在籍しました。そのとき両親に反対されましたが、「自分は20歳のころ、ドストエフスキイの小説に登場する神父さんのこう祈りなさいという言葉を受け入れた。その後、事故に遭い死ぬかと思ったが、奇跡(証)をいただき今も生きている」と言いました。それでも、証は他人には伝わらないので、解ってもらえませんでした。そこには12年ほど在籍しました。今から思いますと、自分は何一つ変わらなかったので、退会が遅れたかなと思えます。ただ、何回かそこでは証をいただきました。
「あかし」ということですが、「人はパンのみに生きるにあらず」なので「自分の心を、神の証に」していくこと(表現イマイチですが)ではないでしょうか?マザー・テレサ氏は「私は神のペン」(記憶違いがあるかもしれません)としたような気がします。またある人は、人生の全ては自分の心の証以外に存在するものはない、としています。(イエスは「人は思いと言葉によって動かされる」と言いました)これを具体的に述べると長くなり、著作権侵害しているといわれても困るのでこのへんで。キリスト者こそ幸福と救いを、受ける者となれればいいなと思います。
今日も、新しい姉妹が、私の通っている教会に加わりました。その姉妹の洗礼式の前の「あかし」を聞いていて、思いました。
「あかし」は、各個人おのおのに与えられた恵みを、各個人おのおのが自分の言葉で、表現するものなんだなって。だから、一人ひとりみんな「あかし」の表現も、「あかし」の時も、違うし、すべて神様がご計画されたように、「あかし」が行われるんだなあって。
MegaDivaさん 初めまして こんにちは (^o^) そうですよねぇ~ 日本では クリスチャン の 方々は 気兼ね して いらっしゃる のかなぁ~ !? でも 大方の日本人は、クリスチャン の 方々に対して どう 思われて いらっしゃるん でしょうねぇ~ !? まぁ~ なかには 変わり者って 思われて いらっしゃる のかなぁ~ (-_-;) 結婚式は キリスト教式 亡くなったら 仏教式 …… 本当に 日本は 宗教に対して 曖昧 なんでしょうかねぇ~ (^o^; MegaDiva さん どうぞ 此れから も 宜しく お願い致します。(^o^) ;
Facebookの書き込み、いつも神様の愛に感嘆して過ごしているので、どうしてもキリスト教(端から見ればキリスト狂?)色が強くでてしまう。
そうすると、露骨にイイねが少なくなり、みんながどういう風に自分の事を観ているのか怖くなってきました。仕事やプライベートでの生活にも支障がでそう…。だけど、レストランのお皿の写真とか、つまんないし。そんななんだか深みを味わえない付き合いしか出来ていないので、聖霊のお恵みを願わなければ良かったのかも。
ポカリさん、こちらこそありがとうございます!
わがままな私にとって、アガぺの愛に生きることは、一生のチャレンジです。
日々の一瞬一瞬が、自我との闘いなのだと思います。
すごくしんどい時もあるでしょう。たくさん躓くこともあるに違いありません。
でも、いつもイエスさまが共におられるので、安心しています。
悩みが生じたらイエスさまに打ち明けて、ずっとイエスさまと生きていこうと決めました。(^^)
・・・自分語りしてばかりですみません(汗)。
「あかし」をしたくてもできない、と悩んでいらっしゃるメールの送り主さんへ。
あなたが「あかし」するのに最も良い日を、主は備えて下さっている、と私は信じています。
だから、焦らずのんびり、その日が来るまでお待ちになってみては如何でしょうか?
こんにちは。
私も、「あかし」すること…ちょっとためらいますね。(^^;
ふだん、日本人同士で宗教や信仰の話題で話すことってあまり無いですね。
外国人の友人からは、「あなたの宗教は何ですか?」とストレートに質問されることがあります。 この場合は、なぜかすんなり話せます。話す相手が身構えていないからですね。(^^)
う~~~~ん。「あかし」ねえ。
「あかし」に関して思い出すことは、15~16歳の時に出会った大親友がクリスチャンになって以来、(今、私は彼と同じ教会に通っていますし、2012年12月2日に洗礼も受けました。)彼は、「おれ、耶蘇だから。」とよく言っていたのを思い出します。
私が洗礼を受けてクリスチャンになったことは、親族では、オアフに住むいとこと、私が小さいときに世話をしてくれた叔母には話しました。そして私は私のFacebookでも、受洗の時の写真を掲載したので、ご覧になった方たちはわかったでしょう。
しかし、私が積極的に「あかし」をしているかは、はなはだ疑問です。いつの日か「あかし」ができるように、神様が導いてくださることを期待しています。
日本語で「あかし」とは、ある事柄が確かであるよりどころを明らかにすること/確かである証拠/となりますが、英語では、clear,tribute,evidewnnce,pledge,testify,identityとなります。日本語では、「あかし」という言葉はふだんなじみがない科学的、裁判的な響きを持ちますが、英語では、もちろんそのような用例はありますが、それ以上にもっと個人と神様とが結び付いた響きが中心です。
だから日本では「あかし」と言う言葉が、ちょっと違和感があるように響くのでしょう。
「あかし」するってどういうことなのか、私もぜひ知りたいです。
私自身について申しますと、夫と、実家の人々とごく親しい友人にしか、
自分がクリスチャンであることを明かしていません。
別居している夫の両親には、何となく言えないまま、ウン十年経ってしまいました。
カムアウトしたところで、別に反対はされないような気がするのですが、
正直なところ、宗教の問題で、波風立てたくないという思いが強いです。
(実家の人々が某新興宗教の熱心な信者で、いろいろもめて大変だった過去があるので)
友人・知人には、自分がクリスチャンであることを、これから少しずつ話していきたいな、と
思っています。でも、夫の両親には、打ち明けないままになりそうです・・・。
再びこんにちは。marieです。
「あかし」するって、どういうことか、自分なりに改めて考えてみました。
そうしたら、岩島神父さまの「キリスト教は生き方です」というお言葉が、何だかすごく気になって。
「私はキリスト教徒です」と表明することが、言葉によって「あかし」することだとしたら、
アガぺの愛(無償・無条件の愛)を実践すること、実践しようと努力することが、
自らの行いによって「あかし」することなのかな、と思いました。
昨日のコメントを書き込んだ時には、
「夫の両親には自分がクリスチャンであることを打ち明けない」と勝手に決めていましたが、
不思議なことに、今日になって、
「いつか自然に話せる日が来るといいな・・・」という希望が湧いてきたのです。
焦らないで、日々、イエスさまに倣って(アガぺの愛に)生きる人を目指そうと思います。
(もちろん、私一人の力でどうにかなることではありませんから、聖霊の働きを願いつつ)
遠くない将来、夫の両親に対し、言葉によって「あかし」することができますように。
こんばんは。
marieさんのコメントの中の岩島神父さまのお言葉とmarieさんのアガぺの愛に生きる志の中に綺麗な光を見た感じがしました。
クリスチャンでいられる人生って素敵なことなのですね。
私自身は、高校生の時、クリスチャンになり、そのことを家族も知っていてくれているので、大丈夫なのですが、自分が、イエス様に倣っているかどうかの生き方は深く吟味しなくてはならないと思いました。
marieさん、感謝します。
[みんな の 声] 新装開店 おめでとう ございます \(^o^)/ \(^o^)/ う~ん 私だったら~ 家族には 暫くは 黙って いますねぇ~ 時が 解決するか どうか は わかりませんがぁ~ ?? そして 日本人は キリスト教 への (偏見)→→ 外国の宗教 なんでしょう かねぇ~ ?? 一昔前は 日本の人口の約1%位 だった キリスト者が 現在は 少子高齢化 人口減で更に減って約0.78%位とか、信教の自由 とはいえ やっぱり 世間体 面子 等々 そんな 考え 思い なんて こと を おもち なんでしょうかねぇ~‼ 日本では 此れから先も キリスト教は希少な 宗教 なんでしょうかねぇ??