教会ではプライバシーが守られない?

教会も人間の集まり。
人間関係のトラブルが起こることは避けられないのかもしれません。

でも、何かを求めて初めて教会に足を運ばれたかたを
「え!?教会ってこんなところだったの???」
と困惑させてしまうことが起きるのは、本当に残念で、胸の痛むことです。

ある教会では当たり前になっていることが、世間一般では「非常識」ということも・・・。

そんなことを考えさせられるお便りをいただきました。
そして、このことを皆さまと一緒に考えたいと思いました。

教会を探していて、何回か行ってみました。
皆さん、良い方なのですが、
初対面でいきなり個人的なことをあれこれ聞かれたり、
一人のかたにお話ししたことが、翌週には何人もの方に知られていました。
教会ってそういうものなのでしょうか?
質問や相談をしたくても、プライバシーが守られないとできません。

 

これ、意外と「教会あるある」かもしれないなと思いました。
たぶん、個人的なことをあれこれ聞いたり、他のかたに話してしまった人は、悪気はなかったのでしょう。
初めていらしたこのかたのことをみんなで祈りたいという、「善意」のつもりだったのかもしれません。

でもそれが、目の前のこのかた自身のお気持ちを無視した「善意」になってしまい、かえってこのかたを戸惑わせてしまった。

こういうこと、結構よくあるのかもしれません。
もしかすると私自身も、「善意」のつもりで誰かを戸惑わせたり傷つけてきたのかも…。

皆さまはどう思いますか?
同じような経験をしたことがある、自分も教会のこういうところはおかしいと思う、というかた、
あるいは、自分も「善意」のつもりでやってきた、
いやいや、初めてのかたにいろいろ聞いたり共有するのにも理由があるんだ!というご意見、
このお便りをくださったかたへのメッセージなどなど
あなたの声をぜひコメントください。

こちらのコメントは9月2日(金)までお待ちしています。


前回のみんなの声「あかしの良き方策は?」へコメントをお寄せくださった皆さま、ありがとうございました。
皆さまのコメントはこちら>>

“教会ではプライバシーが守られない?” への29件の返信

  1. ryuka

    再度のコメント失礼します。
    「教会に行って個人的なことを色々と聞かれ、翌週教会に行くと幾人ものクリスチャンに話したことを広められた」というお便りをFEBCにお寄せになった方へ。

    嫌な思いをされましたね…。
    「クリスチャンって一体……?」という思いにならなかったでしょうか?
    もしそのようなお気持ちになられたのなら、私はそのお気持ちがよくわかります。
    でも大丈夫です。安心してください(^^)
    神様は教会にしかいないわけではないのです。
    あなた様のすぐ近くにおられます。
    なぜこんなことが言えるのかと言うと、私は教会に一度も行かず、信仰を与えられたからです。
    それからは一年以上、一人で信仰生活を送っていました。
    そしてFEBCを知り、放送を聴いたり聖書通信講座を受けて学んでいます。
    あなた様がそれ以上、教会で嫌な思いをしたり、傷つけられたりする前に
    FEBCと繋がっていて、本当に良かったと思います。
    私は場所は教会ではありませんが、電話で様々なクリスチャンと話し、たくさんたくさん傷ついて、今も恐ろしくて教会には行っていません。
    でも教会に行かなくても、FEBCのおかげでちゃんと信仰を保てていますよ(^^)
    FEBCにはあなた様に嫌な思いをさせるようなクリスチャンはいません。
    教会探しを少しお休みして、ゆっくりと放送を聴くのも、私はいいと思います。わからないことがあったらお手紙やメールで質問したり、悩み事があったら相談するのもいいと思いますよ(^^)

    「教会に行く」ことだけがすべてではありません。
    病気やその他の色々な理由で、教会に行きたくても行けない方もたくさんいますから。

    あなた様が、神様と出会うことができますように。

    追伸:私はFEBCのスタッフではありません(^^;)

  2. 匿名

    皆さんのコメントを拝見して、教会に頑張って
    行く事が正しいのか判らなくなりました。
    今日は行くの止めようか?どうしよう?
    と登校出来ない子供のように。
    私は50代後半、人生折り返し過ぎたので、少しでも豊かな気持ちで
    生きたいのです。今まで辛い事が多かったので
    教会での厄介な人間関係はゴメンです。
    成熟とか云われますけど…
    自らストレスに飛び込む気持ちになれません。
    当たり障りのない交わりでも仕方ないのでは?
    何か寂しいですけど。
    クリスチャン人口が減少する原因も、かなごんさんの云われる村社会があるかも。
    教会で神との交わりが実感する事が重要なのでしょうけど。
    なかなか、難しいです。

  3. かなごん

    すごくよくわかります。
    私は牧師とトラブルになり、精神科へ通うようになりました。家族や友人から「客観的にみても、その牧師はおかしい」「その教会はあなたにはあわない」と言われ、目が覚めました。そこで、違う教会へ。すると、そこの牧師がトラブルのいきさつを知っていて「病気になったのを人のせいにするのはよくないなぁ」とニヤニヤ。私が「私がここへ来た理由をご存じなのはなぜですか。前の牧師と連絡をとられたのですか」というと、沈黙。

    つくづくキリスト教会は村社会だと思います。
    ですから、自分をさらけ出すのは神の前だけにしておいた方がいいです。

    教会へ来る人の中には、その非常識な対応のせいで、一般の社会でうまくはまれない人たちもまざっています。

    まあー、神様だって見て見ぬふりだしね。

  4. Emi

    あ~、教会の「交わり」ってむずかしいですね。
    わたしも、人を傷つけていたんだろうなと反省させられます。
    教会は、「祈り合い」「支え合い」「助け合い」…
    「あい」ってキーボードをたたいたら「愛」って出て来ました!
    やっぱり、イエスさまが中心におられる教会の交わりをしたいです。

    「使徒信条」の「…我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり…」あらためて告白したいと思いました。
    イエスさま、ごめんなさい。
    それぞれの教会をお守りください。
    このコーナーの交わりもお守りください。

  5. シュート

    またお邪魔します。以前、実家が日蓮宗を信仰していた時期があり、自分が小学生の時、総本山にある宿坊に泊まった際、相部屋だった信者の人は、他の信者の悪口、噂話をよくしていた事を覚えています。その時の顔が、まるで狸や狐みたいに見えた記憶があります。
    このテーマを見て、その出来事を思い出しました。
    信仰の名の下で相手を値踏みしたり、噂話にする事は、信仰本来の形ではないと思います。しかも当事者にはその自覚がない。こんな事が罷り通っていては新しい人が近づきづらいのも当然です。
    教会、寺社、神社と違っても信仰の場所は、他の信者に対して、人間関係や個人的な事情など不必要な詮索をしてはならないと考えています。

  6. 直島敏久

    私も教会生活が長くなった頃に信仰がおかしくなり教会の人々とトラブルになったそして退会した、今も色々な信仰者に会いますが皆さんいい加減な信仰者です、一般の人々より心の悪い偽善者だと思います、相当痛い目にあいました、

  7. 匿名

    皆さんのコメントを拝見して、「私もそうだわ。そのとうり!」
    と共感しています。言えない事があっても、良いですよね。自分の全てをさらけ出せる人っていないのでは?寂しいですけど、人間ってそういうものかも~教会に行った時、少しでも心が、ほっこり、温かくなれたら、万々歳\(^_^)/
    人間の集まりなので、いろいろあると思っていますm(__)m

  8. とくめい

    礼拝を守りすぐに帰る状況です。すこしさみしい思いが残るのは、本当はもう少し話をしたい思いがあるからなのです。先輩の方たちにお聞きしたい事は沢山ありますが、年齢差、性差により厚くかたい壁を感じます。でも、このまま通い続けます。一緒の空間で礼拝を守ることで、それでいいのかと思うからです。いつか、何かがあって変わるかもしれないし、変わるかもしれない。今はそれでいいとおもうようにしています。

  9. milk

    幼児洗礼は別として、教会に行かれる方は、悩み苦しみを持っていて、
    それを自分ではどうすることも出来なくて、絶対的な何かに縋りたいと、
    そう思って教会へいらっしゃるんだと思うんです。
    だから、柔和な笑顔の信者さんから優しく話しかけられると、
    苦しんでいる自分はつい色々と喋ってしまう・・・ハイ、私もそうでした・・・
    その時の話を回り回って別の方から聞かされた時は、恐怖ですよ~!
    私は赦しの秘跡でしか、話せません・・・

  10. marie

    「初対面でいきなり個人的なことをあれこれ聞かれたり、
    一人のかたにお話ししたことが、翌週には何人もの方に知られていました。
    教会ってそういうものなのでしょうか?」
    お手紙を寄せられたかたへ。決してそんな教会ばかりではありません。
    私はカトリック信者ですが、一時期、プロテスタントの教会に通っていたことがありました。
    アットホームで温かい雰囲気の教会でした。教会員の皆さんも牧師先生も、
    必要以上にプライバシーに踏み込まない、節度をわきまえたかたたちでした。
    マリア崇敬についての自分の思いもあり、その後、カトリックに戻る形となりましたが、
    プロテスタント教会で過ごした日々は、とても充実したものでした。
    人との交わりという観点から見ると、現在は淡白な人間関係を保っていると言えます。
    (個人的な意見ですが、カトリックよりプロテスタントのほうが教会内での人との交わりの密度が高いような気がします。正教会や聖公会のことは存じ上げません。ごめんなさい)

    あなたさまが、心穏やかに信仰生活を送れる教会ときっと出会えると信じています。

  11. アアア

    信頼してる人に、悩みをぜーんぶ話してたら、なぜか、個人情報、まったく知らない人、聖職者にも、伝わってた。共同宣教しぼく、ですか?ゆるしの秘蹟も、、、怖くて、
    いけてない。

  12. fuminaru k

    「個人情報保護法」が2003年に成立して以来、一般に、個人情報の扱いがガラッと変わったと思います。
     たとえば昔は、自転車の「泥除け」部分に住所と氏名を明記するのが普通でしたが、今は一切見ません。他にもシュレッダーの普及とか、FAX送信時に伏字にするとか、初対面の人に根掘り葉掘り聞かないとか、もはや当たり前になっていると思います。
     ひるがえって教会をみてみると、記事にあるように、初来会の人から根掘り葉掘り聞きだそうとし、「みんなで〇〇さんの為に祈りたい」という理由で個人情報を平気で共有しているところもあるかと思います。「一方的な善意」であると同時に、教会だけがそういう時代の変遷に無頓着になっている気もします。

  13. ryuka

    初めてコメントさせていただきます。私は洗礼を受けていませんが、教会内のトラブルの件について、本当に思うことがたくさんあります。まず初めて教会に来られた初対面の方に、あれこれと個人的なことを尋ねるのは「人の心に土足で踏み込んでいる」と私は思います。「善意」と「祈り」を振りかざして、相手の方の気持ちも考えず、ずかずかと入り込もうとするのは、その方にとても失礼です。そして何かお話してくださったことを、簡単に他の人にも話してしまうのも、その人の気持ちやプライバシーを無視した、とっても失礼な行為だと思います。「教会に行って帰る時、泣きながら帰ってる」という、あるクリスチャンのインターネットの掲示板の書き込みを読んだことがあるのですが、どうしてもこうして個人的なことを話せば、すぐに広められてしまう、なのできっと教会では自分らしくあることができず、建前の振る舞いとなってしまって、それが精神的な苦痛となって疲れてしまうのだと思います。イエス様が言われた「自分にして欲しいと思うことを人にもしなさい」という教えについて熟考し、相手の立場になって考える。神様は私たちに「想像力」を与えてくださいましたから「これを自分がされたらどんな気持ちになるだろう?」と思い巡らすことも大切だと思います。そしてこのことも「隣人を自分自身のように愛する」ということになっていくのだと感じています。自分の気持ちを乱暴に扱って欲しいと思う人はいません。だからこそ他の人の気持ちは丁寧に扱わなければならないんだと思うのです。

  14. 匿名

    義人の祈りには力がある、この言葉だけを頼りに教会に足を踏み入れました。あれからもう30年が過ぎました。
    私自身は、誰かに祈ってもらうのが(それが誰でも)大好きです。また、祈りは具体的であるほど、よくきかれる気がします…
    その祈りの力を知ると、誰かの為に祈りたくなるのでしょうね。
    個人情報を分かち合いたくない、というのは結局コミュニティに溶け込んでない、信頼できない心の裏返しですよね?それは尊重されるべきなのでしょう。
    しかし、たとえ人との関係がまだ構築されていなくても、イエス様との関係が深まっていれば、同じ主を信じる兄弟姉妹として、お祈りコミュニティには、案すんなり入れるような気もしますね。
    私自身は、誰かの為に祈っていても、その人と親しくなければあえて「祈ってますよ」とは言いません。人との距離を詰めるのは苦手な方だからです。逆に「祈ってますよ」と言われるのは大好き。自分からは、距離が詰められないので。その人のペースを互いに尊重し合うのはどこでも大事ですが、教会らしさを失う程に遠慮し合うのはどうなのかな?この世とは一線を画してこその教会、という側面も覚えていて欲しいと思います。

    • 涙目

      ついに出ちゃった、この話題…と思いながら、実は、とても大事なことと思います。
      一番いけないのは、○○でなければならない、と画一的に決めることでしょう。
      教会には、色々な方が、色々な理由で集ってこられます。なので、心配りも柔軟でいることが必要になると思います。
      病気になったので祈ってほしいと言われて、祈りましたが、その情報を婦人会で報告しなかったら、「週報にも載せて頂けなかったので、誰もお見舞いに来なかった。先生の牧会姿勢に疑いをもちました」と苦言を戴いたこともあります。
      事故で、御家族を亡くされた方ですが、突然のことだったのでその死を受け止めきれず、「祈られることすらつらい」と泣かれたことがあります。この方の場合は、その方が十分心を立て直されるまで、情報の開示をごく一部の人に限ってケアしました。
      特に、すでに信仰者である方たちに注意をして頂きたいのは、大切なのは、自分の信仰心を高める事ではなくて、隣人への魂の配慮ですよ、ということです。

  15. korin

    こんにちは。
    私は、不快な経験はまだ無いのですが、礼拝に行く時はビジターでも気軽に行ける、多数の人が集まる教会に行っています…。(^^)

  16. JQ2NJP クマちゃん

    正直いって、「小さな親切、おおきなお世話」との日本の戯言に行きつくのかなあ!?確かに、自分の弱みや悩みを赤裸々に話して、教会の兄弟姉妹にそのために祈ってほしいという気持ちは、私にもあります。しかし、そのためには、見ず知らずともいえる、まだ教会の人間関係も築けていないような兄弟姉妹に、自分の弱みや悩みを話さないといけません。そして、その話した相手が、私の弱みや悩みを理解してくれないといけないのです。人間は、自分が経験したことは、比較的理解しやすいのですが、自分がまだ経験していないことや、経験すること自体が不可能なことは、理解がしがたいのです。そんな理解は不可能でしょう。唯一イエス様にしかできません。だから、正直言って、私も木曜の夜の聖書研究祈祷会でも、なるべく自分の本心に近い言葉で、そして、それでいて、ある程度オブラートにくるんで、そして、なるべく一般化して話します。しかし、どうしても、私の気持ちや思いは、どっかかけ離れているのです。でも、そのこともすべてイエス様はご存知ですし、イエス様の父なる神様は、当然ご存知です。だから、教会の兄弟姉妹をごまかすというのではなく、自分とイエス様や自分と神様の関係で判断すれば、いいのではないでしょうか。45年の関係の私の大親友でも、私の思いとかけ離れたことを言うことがありますし、私も彼の思いとかけ離れた言葉を言うことが、多々あります。いってみれば、人間には、心底相手を理解することは不可能だともいえるでしょう。だから、私はイエス様や、イエス様の父なる神様に、毎日おすがりしているのです。安心して、イエス様やイエス様の父なる神様におすがりしてはいかがでしょうか?

    • ポカリ

      クマちゃんさん、はじめまして。
      私は、クマちゃんさんの文章から、優しさを感じさせて頂くことが出来ました。
      今、私も教会を探している身です。
      クマちゃんさんみたいな人がいてくれている、教会を私は探しているんですが、見つかるでしょうか?
      わかりませんね~。
      私は、教会で必要以上に無理して、自己開示しなくていいと思っています。
      まずは、イエス様におすがりして、心を落ち着けたいだけ。
      私をわかってくれるのは、イエス様だと思っています。

  17. トモコ

    私は24年前に受洗しました。兄姉がすでに他教会で受洗しており、受洗前には聖書の講座受講をし、かなり時間をかけたつもでしたが、受洗後牧師夫人の「教会員になったからには、教会員以外のお付き合いは止めてください、聖書、賛美歌は革表紙の物をお持ちなさい。先輩会員のAさんに連絡するのはお止めなさい、Bさんには気を付けて 。」 等々と枚挙にいとまがない指示。 10年後他県に転勤して、転会。新しい教会生活が始まり何と満たされた教会だろうと感謝の日々です。

  18. ポカリ

    こんばんは。
    人間関係は、どうして難しいのでしょうか。
    ただただ、悩むのみです。
    教会に行った日も、人間関係に悩んでいる。
    どうしてなの? なの?
    まさか?素敵なイエス様の教会で、どうして、うまくいかないの?
    でも、交わりが欲しい!!
    主の愛の中で赦し合える日を待ち望むことを精一杯祈りたいと思います。
    神様、パンとぶどうジュース、下さい。アーメン。

    • 山川 まり子

       私も、某教会に行き始めた頃、ある姉妹から「何でも分からない事は相談してと」と
      言われて、話したら、教会全体とは言いませんが、かなり、話した内容が知られました。
      吃驚しました。後で聞くと、私が話した姉妹は「教会のスピーカー」と言われた人でした。
       
       前のコメントにもありましたが、「祈ります」「祈っています」を安易に口にし過ぎ。
      それで、祈っているかと言うと、祈っていない。私もそうですが。悩んでいる方を見ると
      「祈っています。相談に乗ります」等と言う人よりも、人知れず陰で祈っている方が、
      本当に祈っているし、愛がある方だと思う。

       教会は、人の心の中を土足で入る人が多い。土足で入って来られて教会に来なくなる
      人はかなり多いと思います。

       教会生活をする上で、本音を言わない事です。勿論信頼している人には話す。
      礼拝に毎週熱心に出席している人の中には、教会内外に友人がいない人が、結構多い
      ような気がする。私はクリスチャンの友人、ノンクリスチャンの友人もいますよ。

  19. シュート

    そう言えば…以前、あるキリスト教関連の施設を訪れた際、名前、悩み事などいろいろと聞かれた事がありました。初めて訪れたのに、一体なぜ?と戸惑いました。
    相手は悪意はなくて、むしろ純粋に祈ろうとしているのでしょう。でも初対面の人にいきなり…というのは、どうしても警戒心が湧いてきてしまうんです。
    それに、郵便ポストのコーナーを聴いていると、教会に集まる人達が、人間関係、それも聖職者、信者同士のトラブルに遭う場合が思った以上に多い事に驚きました。コミュニティが小さくなりがちな環境。これでは教会に行きたくても…と思う方が多いのでは?

  20. Gyugyu

    私も教会員の一人ですが、数ヶ月前の礼拝後の交わりで、ついに言ってしまいました。「教会の方はいい人ばかりだとは思うけど、心の中をさらけ出すことがどうしてもできない」と。それが個人的なことでも、教会内のことでも、どうしても言えない。結局、表面的なことを言って終わりにしてしまう自分がいるとも。
    そこにいた10名余りの方は、黙って聞いてくださっただけ。翌週、その中の一人の方が「先週はよいお分かちをしていただき、嬉しかった」とおっしゃった。私は「?」という思いで、応えようがなかった。
    教会ってなんだろう?なんで私は毎週礼拝にでているのだろう?私の中の答えは明快である。イエス様を通して、神様と向き合いたいからである。でも、教会の交わりが深まるどころか、表面的になるのは、自分に問題があるのかもしれない。教会に来る方と心から打ち解けあいと切に願っているのに、、、

    • bat

      Gyugyuさんはご自分の気持ちを正直に口にされたんですね。それに対する反応は「よいお分かちを…」 なんだかガッカリですね。交わりを深めたくて思いを口にされたんでしょうに。

      私は10年以上求道者です。1つ目の教会に4年半、2つ目の教会に6年半通いました。
      教会の集まりに違和感を感じることが多く、自分の思いを正直に口にしてきました。
      「よいお話を聞かせてもらった」という言葉や、腫物に触るような反応を経験したこと、あります。
      自分は求道者だから神の家族の一員ではないし、周りのクリスチャンとは立場が違うことから来る孤独感や疎外感はいつも付きまとっています。
      以前、小さなグループの集まりに誘われて参加した時に居たたまれない思いをして、次からは誘われても断りました。そのグループのリーダーは「せっかく誘ったのに断られて、リーダーとしてやっていく自信がない。」と牧師に相談したらしく、牧師の口からそのことを聞きました。私がなぜ参加したくないのか、尋ねられることはありませんでした。
      また、ある教会員からもらった誕生日のメッセージが、クリスチャンではない私には受け入れづらく、感謝の表現が足りなかったのか、「あの人苦手」と言われていたことがわかりました。
      神様となかなか出会えない悲しさや寂しさをわかってほしいと思って自分の気持ちを伝えるようにしていたつもりでしたが、いつの間にか加害者にされてしまって、教会で本音を言うことが怖くなりました。
      礼拝後、求道者同士では信仰や神様の話ができるのに、クリスチャンとはきれいごとや当たり障りのない雑談しかできないのは、皆さん、痛い思いをして学習された結果なのかなと思ったりします。

      今年に入って教会に行かなくなりました。神様を求める思いを自分の中に見出せなくなり、クリスチャン(十把一絡げにしてゴメンナサイ)という人種に失望し、天国というところには行きたくないと感じています。

      • かなごん

        すごく気持ちがわかります。私も同じ気持ちになって教会から去りました。もう、15年も前の話です。
        でも、こういう相談を教会員にすると「人間よりも神をみろ」と怒られませんでしたか?
        教会にこなくなった人は「神につまづいた人」と、言われませんでしたか?
        私は言われちゃって。
        つまづいたひとって、心が弱いってイメージがあるから、傷つきました。

        教会って、強者の理論がまかり通っているんだなっておもいます。

  21. masami

    新来者、求道者、新米クリスチャンに対して、「祈る」ことが何か先輩クリスチャンの役目(義務)であるかのように思っている方が多いのではないでしょうか。
    私自身は「祈ります」「祈ってます」と相手に伝えることが愛なのだとかつては思っていましたが、それを押しつけてくる先輩クリスチャンの方にそれを言われ続けて、いつしか辟易としている自分に気づきました。なぜなら、そのお祈りの多くは私のためではなく、その祈っているクリスチャンの自己満足のためだったからです。
    また、私も個人情報を直接話した方ではない他の方に漏らされ「masamiさんの○○について祈ってますね」と言われてビックリしたことがあります。
    「あなたのために祈らせて下さい。何か祈って欲しいことがありますか?」と聞かれたら、当たり障りのない課題、家族のためとか仕事のためとか(具体的なことを言う必要はありません)と言って祈ってもらったらいいです。真実はイエス様だけが知っているのですから。
    個人情報を言わないことで相手が不満そうな顔をしたら、その後はあまりお近づきにならない方がいいですね(笑)本当の祈りは隠れたところでなされるものです。優れた祈り手はそんなことで不満を持ったりしないと思います。

    • タクさん

      masami 様 初めまして こんにちは (^o^) 私も、もぅ 15年位 プロテスタントの礼拝 には 出席 して いなくて かつて 数ヵ所のプロテスタントの教会に 通っていた頃 ある 教会 の 牧師先生 も 自分自身の説教に 酔いしれて おられる そう 私には 思ったり、しました 教会員 (特に古株の方) の お祈り も 貴女様が おっしゃられた ように 自分自身の お祈り に 酔いしれて 自己満足 のように 見受けられました?? 本当に 貴女様 が おっしゃられた ように 隠れた ところでの お祈り 此が 本心 の お祈り だと 私も 思います。 masami 様  どうぞ 此れからも 宜しく お願い致します。 

    • かなごん

      私も「祈っています」というクリスチャンは、手を抜いているな、と思います。
      人を助けるには祈るよりも行動でしょう。

      私は「あなたのために祈っています」と言われるたび嫌な気持ちになっていました。
      他人に祈ってもらって、何が変わるのかと。

      「祈っています」を連発する人は、手抜きクリスチャンと決めつけてもいいと、個人的には思っています。

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