「バテレン追放令」というのは、たぶん社会科の教科書にも出てくる用語で、ほとんどの日本人が聞いたことがあると思います。
1587年7月24日、秀吉によって突如として発令されたこの「バテレン追放令」。
当時のキリシタンにとってはもちろんですが、秀吉に従うべき立場であったキリシタン武将たちにとっては、最後通牒を突きつけられたような大事件だったでしょう。
秀吉という一人の権力者によって、信仰の自由を奪われていった時代。
それは、現代日本にも通じるものがあるような気がしてなりません。
その中で、右近がとった行動と決断は、
単に「戦国の世に信仰を全うした偉人」というふうには片付けられない、
失敗し、壁にぶち当たり、絶望的状況の中で、
「信仰」という生きかたを貫く意味を私たちに語りかけているのではないでしょうか。
信仰者の時空―キリシタン・高山右近の歩みから
川村信三(カトリック・イエズス会司祭、上智大学文学部史学科教授)
最終回「『この世に死ぬ』生き方―バテレン追放令前後の高山右近」
今回で最終回を迎えたこの番組。
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もし、私がその時代に居合わせたら…はたして命を掛けて信仰を…自信がありません。心が揺れると思います。先人の意志の強さに敬服します。
歴史オンチのカトリック信徒です。
第1回目の放送を聴いた時、「お話が難しすぎる~!」と頭を抱えてしまったのですが、
内容を判らないままにしておくのが何だか悔しくて、歴史コミックを読みました。
おかげで、歴史に対する苦手意識を払拭することができ、
それからは番組を拝聴するのが楽しみとなりました。
右近が、イエズス会士のおこなう正式な霊操を体験していたと知り、驚きました。
戦国武将としては、この世的な成功を得た人物ではなかったかもしれませんが、
信仰者として見た時、右近は、まさに神の栄光を現すために生きたのではないかと思いました。
私たちがさまざまな人生の岐路に立つ時、この世的な価値観に惑わされず、
右近の人生を思い起こし、主のみこころに従う決断を下すことができたら・・・。
弱い人間だからこそ、弱い自分に頼ることなく、主にお委ねできるようになりたい。そう強く欲します。
もう少し、右近についていろいろ読んでみようと思います。
右近のことを知る良いきっかけを作って下さり、どうもありがとうございました!