神学者×被災地=神との格闘?

この10月から始まるFEBCの新番組。
一足お先に聴かせていただいたFEBCスタッフが、その魅力を、今日から少しずつ皆さまにお伝えします!
その第一弾は「Per Crucem ad Lucem―十字架を通って光へ―」。
お話しくださるのは川上直哉先生(日本基督教団仙台北三番丁教会担任教師)です。

「神学者」って、書斎でムズカシイことを考えてる人ってイメージ、ありますよね。
失礼ながら、浮世離れしていて、頭でっかちで・・・
でも、そんな神学者のセンセイが、被災地の現場にひきずり出されちゃったとしたら?
川上直哉先生は、きっとそんなお一人です。

コツコツと積み上げ、ご自身のプライドでもあったであろう、神学の研究。
でも、突然飛び込んできた震災の現場で、遠慮も何もなくズバッと問われるのです。
「神学?それ、何の意味があるの?」と。
現場に放り込まれ、もがく中で残されていたのは、
只々、主イエスの胸ぐらをつかむような祈り。

そう、これが私たちの全部なのかもしれません。

私たちの日々も、本当に「現場」です。
理不尽さの中で、苦しみや悩みは尽きません。

だからこそ、この番組でご一緒に聞いてみませんか。

「これで、いいんだ」という告白の言葉を。
そう語る川上先生の胸の内を。

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「Per Crucem ad Lucem―十字架を通って光へ―」は10月5日(水)スタート。
毎週水曜更新です。
ぜひお聴きください!

“神学者×被災地=神との格闘?” への3件の返信

  1. りぼん

    神学者とは聖書にたいして客観的なアプローチで迫っていく人たちだと思います。

    それにたいして、信仰とは本人の主観の問題。他人がどう言おうと、どう思われようと、自分がこうだと信じたらそれでOKの世界。

    だから、神学者の神学の話を聞いて、一般の信者さんの信仰が深められることがあるというのは、むしろまれだと思います。

    神学は学問なので、自分の主観が入り込まないようにしている態度というのは学問的に正しいのではないでしょうか。

  2. korin

    理不尽な現実の毎日を生きていると、本当に神様は居られるの?と思う事がよくありますね。
    でも、自分の心の中に入って行くと、暗闇の向こうにマリア様のお姿を感じる時があります。
    いつもではありませんが、その時は安心します。(^^)

  3. 牧野 のぶあき

    およそ神学者という存在を敬遠しがちなクリスチャンの私ですが、そのお話をお聞きして 一向に信仰が深められない思いを与えられた方がおられました。
    信仰者であることと神学者であることの間に なにか無作為に溝を設けているような気がいたしました。
    これは私の未熟による誤解かもしれません。
    しかし神学者に対して 信仰の在り方についての疑問を持つようになったのは確かです。
    つねに聖書そのものに帰ることが最善であると思いますが これでいいでしょうか。

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