理由のない苦しみ、答えのない問い、
それでも「なぜ?」と思わずにはおれない、
だれかに聞いてほしい、助けてほしい・・・
そのような思いでお寄せくださった1通のお便り。
51歳で体の自由が効かなくなり、母親から介護され、
死にたい気持ちと死ねない気持ちの狭間で
FEBCの放送に耳を傾けている女性のかたからのお便り。
今回の「恵子の郵便ポスト」を聴きながら、
私たちの生きる意味について思わずにはおれませんでした。
自分には今、できることがあります。
そんなに立派なことでも大したことでもないけれど、
多少は人の役に立ったり、何かしらの成果があると思えることができます。
でも、果たしてそれが自分が生きている意味なのだろうか?
もっと別の、「私が何ができるか」「私のした何か」ではない、
ここに私という一人の人間が存在している意味。
何もできなくなってしまった嘆きを綴ってくださったお便りをとおして、
一番大切なことを問わされている思いです。
翼さぁぁぁ~~ん、お久しぶり \(^o^)/ お元気~!? 昨日から!? (夜な夜な話)へ アクセス でけへん 何で ??
ごんべぇ〜さん
サイトありがとうございました。カウントダウンで起きたいと思います。翼
翼さぁぁぁ~~ん、お久しぶり(*^。^*)
元気~!?
「夜な夜な」にも、顔出して~~~(^_-)-☆
待ってます♪
はーい(^^) 翼
こんにちは(*^。^*)
私は、使徒パウロの
「どんな境遇にあっても、満ち足りる事を学びました」
~が好きなんです。
精神障害や身体の病気を抱えている私に出来る事を捜し求め、
神様に祈り・・・今に至ります。
宜しければ、下記、開いて観てください(^_-)-☆
http://www.igmtokyo.com/sermon/2003/02/sermon030223.html