「わけわかんねえ、でもあったけえ」

「なぜ、人は苦しみながら生きるのか?」
「神がいるならば、なぜ、こんな世界を創ったのだろうか?」

誰もが考えたくもないし、放っておきたい問題。
若いなあ、って冷笑するかもしれないけれど
それって結局はごまかしですよね?

とはいえ、クリスチャンもその答えを持っているわけでもなく、
むしろ神様を信じたいと思うからこそ、
一層キツく矛盾が感じられてくる。
都合の悪いことは、無視したほうがラクだなって思ってしまう。

しかし、関野先生はそこへ踏み込んでいく。
迷いながら、苦しみながら問うていく。

神様なんでだよ?教えてくれよ?
それって神様、あんたが悪いんじゃないか?
イエス、応えてくれよ!

綺麗な答えは無いかも知れない。
多分、苦しみの状況は変わらない。
だけど、きっと主イエスは、身を挺して
この叫び、衝突を全部、生身で受け止めてくれている。
悲しみ、怒り、戸惑い、痛み、恐れ、卑屈、何もかも。

やっぱり、美しい解決なんてそこにはない。
しかし、愛だけはある。
自分の身体を捧げるまでの、不器用過ぎる愛が
そこには確かにある。

目を逸らすのは、もう止めにしよう。
そう思わされています。


イエスにぶつかるーそこに響く言葉
関野和寛(日本福音ルーテル東京教会牧師)関野和寛氏(日本福音ルーテル東京教会牧師)
毎週火曜日更新
第1回「わけわかんねえ、でもあったけえ」

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“「わけわかんねえ、でもあったけえ」” への11件の返信

  1. marie

    今日(10/25)の『イエスにぶつかる』も、良かったです。本当に深くて・・・。
    特に印象的だった関野先生のお言葉(と拙いコメント)を以下に記しました。

    「いちばん自分が弱い時、いちばん自分が穢れている時に、
    いきなりやってくる大きな存在に包まれ赦されること・・・そんなことを
    『神との出会い』というのだと俺は思う」

    「神との出会い」が与えられる「時」って、本当に関野先生のおっしゃる通りだ・・・と、
    (とても人様には言えないような)どうしようもない過去を持つ私は、心から思いました。

     「人には神の前に絶対にゆるされない過去がある。
    それでも、いや、それだからこそ、神は、その人と出会おうとし、その人と出会い、
    その人を変えて、その人を使って、奇跡を巻き起こす」

    神さまが、罪びとの私と出会い、私を変えて、私を使って、奇跡を巻き起こして下さる・・・!
    この希望に、励まされ、勇気づけられ、支えられています。
    感謝と喜びのうちに、これからもイエスさまと共に歩んで行けますように。

  2. シュート

    関野先生の番組第2回の感想を書かせてください。
    題材がヨハネ福音書第4章だったのですが、聖書に書かれていない当時の時代背景や、サマリアの女性の心象風景が、まるでその場で立ち会ったように生々しく感じました。
    深い孤独と断絶。その状況は、現代でも変わらないと感じました。
    自分の聖書通信講座の感想とは全くレベルが違っていました。
    この番組の関野先生は、前の番組と比べて「ロック」の面を抑えた感じを受けます。でもストレートな言葉で伝える所は魅力的で分かりやすいです。

  3. korin

    関野先生のお話は、ストレートに私の心に入って来ます。シンプルでわかりやすいですね。v(^^)v

  4. たぬきさん

    始めてお便りいたします。FEBCスタッフの皆さんのお働きに感謝いたします。誠に僭越ではございますが、そして長文になりますが失礼いたします。
    以前関野和寛先生の担当しておられた「イエスが与えてくれる、この鼓動(ビート)」という番組を数回拝聴しました。等身大で飾らずに素朴に訴えてくるものがあり深みのあるなかなかいい内容で非常に共感できたのですが、一方なんとも言えない違和感も感じ、何故なんだろうと気になっていました。今回その続編ともいうべき「イエスにぶつかるーそこに響く言葉」を聞かせていただき、さらにこのタイミングで掲載された「みんなの声~説教は必要か?」の反響を見て、その違和感の原因がすこし解った気がしました。
    おそらく編集の段階で検討を重ねてわざと既存のロックのイメージで表現した結果そうなってしまっているんだと思いますが、過激な言葉使いのせいで「これ、神の言葉?」と言わざるをえない印象になってしまっている、極端な言い方をすると語られる内容そのものにまで「俺様説教感」をまとってしまっているようで非常に残念に思います。
    例えば主語を「俺」じゃなくて「ボク」に変えるだけでもずいぶん攻撃的な印象が和らぐ、だからといって耳障りのいいありきたりの綺麗なものに変えられてしまう事も、本当に伝えたい事がブレてしまう事もないと思うのです。なぜならば語りたいその内容がもうすでにしっかりとしたロックの精神を持った福音宣教としての機能を果たしていると感じるからです。その結果、今このとき関野先生の感じておられる本音で神の愛と慈しみを表現しているのが視聴者にストレートに伝わってくるのではないかと思います。
     一歩間違えると、「神の言葉とは言えない、牧師の主観的な言葉」としか思えない独善的表現として、教会員たちのつまずきにさえなってしまうが故に、説教というのは引き際、バランスの取り方、舵取りの仕方が本当に難しい。福音をどう自分の言葉で語るかというところで教会司牧にあたっておられる方々の苦労には本当に頭が下がります。このように様々な誘惑にさらされる中で常に自分の信仰あり方や福音宣教の姿勢が問われるからこそ、われわれ教会員は教会司牧者の方々の為に祈る事が必要なのかも知れないと思いました。
    これからもFEBCの皆さんの、そして関野先生のそのお働きが豊かに祝福されますようにお祈り申し上げております。

  5. 羊羹

    FEBCのスタッフの皆様、リスナーの皆様こんにちは!

    関野牧師、再登場とっても嬉しいです(*^o^*)
    初めて聴いたときは、なんと真っ正直な!ロックバンド!大丈夫なの?破門とかされないの?こんな牧師さん初めて!といろいろびっくりしてました(*´-`)
    関野牧師は、私たちが疑問に思っていることやモヤモヤしてることなどを、私たち普通の人間の目線でストレートに語って下さいます。だから聞いていてすごく共感できます。
    今期放送、初回は涙してしまいました。
    神様にぶつかっていく姿、そして、神様の愛を信じる姿、等身大の信仰を目の当たりにした気がします。
    こんな牧師さんがいるなら俺も神様信じてみようかな…って思う人たくさんいると思います。

    FEBCと関野牧師に感謝!(^-^)

  6. ごんべぇ~

    関野先生のお話を聴いて・・・
    神様は、なぜ人間に自由をお与えになったのだろう?
    ~と考えていました。
    私が思うに、神様は、愛し愛される喜びを味わいたかったから。
    人間同士にも、その喜び・幸せを味あわせたかったから~と。
    それなのに、いまの世の中、不条理・戦争・テロだらけ。
    つくづく、
    親の育て方、教育、信仰、環境、その他もろもろ、大事だなぁ~って
    考えさせられました。
    関野先生のお話は、2000年も前の話ではなく、
    現実味があって、分かりやすいです。
    現代を生きる私達が、どのように生きていったらいいのか!?
    神父様にも、牧師先生にも、
    日常に照らし合わせて教えて欲しいですね(^_-)-☆

    関野先生のお話、これからも楽しみにしています。

  7. JQ2NJP クマちゃん

    私が小学生のころ、関野先生と同じ疑問を持ちました。父親に「パパ。どうして神様は、人間をヘビに騙されるように作られたの?」と聞いたところ、「人間に自由を与えるためさ。」との答えでした。子ども心に私は、「だったら、自由なんていらないから、神様から離れないようにすればよかったのに。」と思い、さらに質問すると、父親の回答は、「人間にとって、自由が一番大切なものなのだ。」というものでした。太平洋戦争を経験した父親には、まさに、自由=人間らしさ だったのでしょう。しかし、今60歳還暦を来年一月に迎えようとしている私は、あの時の心のままです。「神様は、なぜ、人間に自由なんて与えちゃったの?神様の言うことを聞いていれば、完全に安全だし安心なのに。」関野先生!私の子ども心に響くメッセージをありがとうございます。今後も、子ども心にうかぶ、大人が答えにくい感覚の質問に、するどく切り込んでください。期待しています。

  8. TY

    送って頂いた月刊誌に、関野先生の第1回の放送について掲載されていました。放送よりも前に拝読していたのですが、読んだ時に涙が溢れました。飾らない、力強いことばで、大丈夫だよと背中をふと押してくださったような、安心感に包まれました。

    以前の放送でも励まされることが多かったのですが、今回第1回のお話も心に沁みました。これからも楽しみにしています。

  9. 阿部基子

    かみさまがいらっしゃるなら、こんなに酷い事が起こるはずがない。何年も何年もその矛盾を理解できずにいました。キリスト教を信じてる人たちはなんで信じることができるのか、その事もそれ以上に大きな疑問でした。なぜなら私はかみさまはいないとこの世を見てそう確信していたからです。
    聖書を読んでも理解できないと、それを知ることが怖くて、聖書についての解説書などを読みあさりました。でも何も私のこの大きな二つの疑問には答えてくれませんでした。
    洗礼を授かった時にはこの二つの疑問の答えは出てるかのように思えました。でも関野牧師の一回目の放送を拝聴しただけで全てが明らかに。関野牧師、ありがとうございます。主が本当に貴方に働いてみ言葉を伝えて下さっています。

  10. シュート

    関野先生の番組が再び拝聴出来るのは素晴らしいです。
    前の番組は本当に衝撃的なものでした。
    関野先生は聖職者というより、ロックアーティストのような感じを受けました(実際、牧師ROCKSのリーダーですが)。 語り口も他のパーソナリティーの方、牧師先生、神父様とは全く違ってざっくばらんなもので、最初は「これはいいのか!?」と思ったのですが、内容がとても奥深い、幅広いもので、毎回楽しみにしていました。
    4日の第1回を聴いて、直接イエス様に訴えかけるようなストレートなメッセージに引き込まれました。これからの放送が待ち遠しいです。

  11. marie

    神さまは、私たちがどこへ行こうとしても、神さまから離れても、ずっと見守っている・・・という関野先生のお言葉を聞いた時、神さまから離れていた時期の自分を思い出して、とても切ない気持ちになりました。きっと、その頃、神さまは、アダムを呼ばれた時のように、私にも「どこにいるのか」と声をかけて探してくださっていたのだろうと思います。

    もう神さまから離れないぞ!と今は固く心に決めているけれど、いつまたふらふらすることか・・・。それでも、どんなことがあろうと、神さまが私たちを見捨てることは決してない、と信じています。関野先生の番組を拝聴して、その思いを再確認できたのが、嬉しかったです。

    弱さや苦しみ、過ちもある、この滅茶苦茶な世界について、もっと深く掘り下げた話を聴きたいな、と思ったところで、残念ながら時間が来てしまいました。・・・今後、関野先生は、イエスさまにどんな風にぶつかっていくのか。来週もすごく楽しみです。

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