聖堂で一人で祈りを

このサイトでこれまでご紹介してきた何通かのお便り、
どちらかというと、お悩みや疑問のお便りが多かったような気がします。

でも今日はとてもうれしいお便りをご紹介させてください。
7月にここでご紹介した、「洗礼を受けることが不安…」(こちらです>>)とお便りくださったかたからなんです。

皆さまお元気でお過ごしでしょうか。
毎日の放送に感謝します。

7月のお便り掲載ありがとうございました。
洗礼を受けて教会に通っております。

毎週ミサに出席することはできないので、仕事帰りなど教会に寄って聖堂で一人で祈りをささげています。
聖堂には十字架や御像があるので自宅で祈るよりイエス様を感じることができるような気がします。
少しづつ歩みを進めていきたいと思います。

 

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遅ればせながら、受洗おめでとうございます。
その後どうなさっているかなと思っていたので、本当にうれしいです。

お仕事帰りに立ち寄れるところに教会があるなんて、いいですねぇ。
毎日いろいろなことがあって、うれしくて感謝な日もあれば、失敗して落ち込んだり、人や自分にイライラしたり、どうしたらいいのかわからなくなったり・・・
その時その時のありのままの心で、一人神様の前に出て祈り、そこでイエス様を感じる。
聖堂はそういうひと時を持つのにぴったりの空間ですね。

そしてたぶんそれが、神様があなた様に与えてくださっている、あなた様に合った、あなた様らしい歩みなのですね。
私は仕事帰りに教会に寄るのは難しいけれど、でもやっぱり自分にも、一人で神様の前に出るひと時が必要だなあと思いました。

cut_yonako161019どうかこれからも、一歩ずつ静かにイエス様との歩みを深めていかれますように。
ぜひまた近況などお寄せください。お待ちしてます。

 

よな子へのお便りやご感想など
voice@febcjp.comまでぜひお寄せください。
お寄せいただいたメールはこのサイトでご紹介させていただくかもしれません。
皆さまのお便りをお待ちしています。

“聖堂で一人で祈りを” への4件の返信

  1. たぬきさん

    この記事を読ませていただいて私が感じたことは神の導き、聖霊の働きは受洗そのものもさることながら、受洗をためらってFEBCに助けを求めるお便りを出されてから現在に至るまでの心の変化についてでした。
     僭越ながら引用させていただきますと、
    「私の様な中年になってから」知り合いもいない教会に行く人はいないんじゃないか。「肝心の日曜日」も休みがとりにくく、「こんな私が」洗礼を受けてもいいんだろうか? 「自分がだらしない、根気がないからだ」と今でも思っています。「何より自分が許せない、自分に失望してしまう事が恐ろしい」のです。
    こういった自分を卑下するような表現が多かったのが、
    洗礼を受けて教会に通っております。「毎週ミサに出席することはできないので、仕事帰りなど教会に寄って聖堂で一人で祈りをささげています。」 聖堂には十字架や御像があるので「自宅で祈るよりイエス様を感じることができるような気がします。」「 少しづつ歩みを進めていきたいと思います。」
    というふうに、等身大の自分の限界をありのままに受け入れて、その中で今の自分に出来る教会との関わり方、神の道を模索しながら前向きに生きておられるという心の変化こそが、まさに神の導きであり、救いの実現ではないかと感じました。
     「シフト勤務で日曜日の休みがとりにくく主日ミサの出席は月1、2回」だからこそ、神はカトリック教会に導かれたのかもしれません。私も現在では病気で体が不自由になり、土日祝休みで規則正しい仕事についていますが、健康だった頃はシフト制の不規則勤務をしていました。この方のように主日のミサに与れる事は少なく、また心身ともに疲労消耗の激しい職種でしたので、時々仕事帰りに聖堂で一人祈る(カトリックではこれを聖体訪問と呼びます。)や、平日のミサで一息ついて家路につく事が至福のひとときでした。
     そして、他の教会ではなくてカトリック教会で受洗された事もこの方にとっては大いなる恵みであるとおもいます。確かにカトリック教会のミサ、つまり聖餐式にはだれでも参加する事が出来ます。しかし、そこで聖体拝領を受ける、すなわちキリストの御体と御血をいただく事は、カトリックの洗礼を受けるか、カトリックに改宗するかしないと出来ません。ただ参加するだけでも御言葉に養われるという点では意味はあるのですが、やはりキリストと一致し、キリストの体に養われる為の聖体拝領は秘蹟の中の秘蹟と呼ばれるくらい信者にとっては重要な事なのです。そういう意味においては他の教会での厳しさに挫折し、自分を責め、傷を負ったこの方が、抽象的な概念ではなく、聖体の秘蹟というリアル体験をとおしてキリストと結ばれる権利を獲得された事は大変深い意味のある事だとおもいます。
     神の働きの不思議さ、偉大なる神秘を放送やインターネットを通じてこうして継続的に分かち会ってくださったFEBCの皆さんに心から感謝いたします。神さまの祝福が、この方とFEBCスタッフの皆さんの上に豊かに注がれますように。

    • 本人です

      みなさんありがとうございます。 ミサに行ける日は少ないのですが、聖堂に行くとイエス様や聖家族に見守られているという気持ち。うれしい気持ちになり、お祈りとともによろしくお願いします。とご挨拶しています。日本ではキリスト者は少数ですが、「FEBCには大勢の仲間がいて繋がっているんだ。」と心強く思います。

  2. ごんべぇ~

    遅ればせながら・・・
    受洗おめでとうございますヽ(^o^)丿
    私も、教会には、御聖櫃があるので・・・
    悩み事や心配事があると、ひとり神様の前に跪きお祈りしていました。
    これからも、神様と共に歩んで行けますように(祈)

  3. marie

    受洗おめでとうございます!
    お祝いに、私の好きな言葉をプレゼントします。(^^)
    「み摂理は、いつも急ぐことなく、そしていつもまにあう」(ヴェイヨ)

    『三分の黙想』(フェデリコ・バルバロ編 ドン・ボスコ社)に載っていました。
    (余談ですが・・・ヴェイヨという人、調べても見当たらないので、正しくは「ヴェイユ」かもしれません。
    個人的には、「シモーヌ・ヴェイユ」のような気がします)

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