走り抜こうではありませんか!

「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、
すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。」
(ヘブライ人への手紙12章 1〜2節)

私は長距離走が大嫌いで、このパウロの有名な言葉を読むたびに
学生時代の嫌な思い出がよみがえってきます。
脚は痛いし、酸欠になって意識は朦朧として、
走った当日は大体頭痛と吐き気で何も手につかなくなりました。
当然、順位も最後の方ですから、精神的にもがっくり来ます。

まあ、それは運動不足なので自業自得なのですけれど、、、、
そんな苦しい思いをしつづけないとクリスチャンって全うできないんだなあ…
それはキツいなあ…と
ここを読む度思ってたんですよね。

ただ、今回、改めて読んだ時に

「わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている」

という所が目に入って来ました。

一人で走ってるんじゃないんですよね。
むしろめちゃくちゃに囲まれてしまっている。

よく、スポーツというのは究極的に自分との戦いだ、といわれますけれど、
この信仰の戦いは1対1の対決ではなくて、
きっと私のこのレースは数えきれないほどの信仰の先達、仲間に応援されて、支えられている。

そして何より、主イエスがいる。やっぱり辛い競技には違いないけれど、
お前のくびきを負ってやるよと一緒に駆けて下さる方がいる。

今までは、忍耐強く頑張れよという所ばっかり気になっていましたけれど、
もしかしたら、パウロはその共に走る爽やかな素晴らしさを私たちにまず伝えたかったのかもしれない。
そんな事を今回感じました。

(新人N)


なかなか続けられない聖書通読。
でも一緒に読む仲間がいれば続けられるかも!
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“走り抜こうではありませんか!” への1件の返信

  1. とど

    私は長い間、「おびただしい証人の群れに囲まれている…」の意味を、〈告発する者達に監視されている〉という風に、勘違いしていました。
    〈信仰の先達に見守られている〉という意味と知ったのは、今の教会に通って耳にしたある日の礼拝説教から。よくよく考えてみれば、数々の信仰者達の歩みを振り返る11章の流れを汲んでのこの一節なんですから、私の読みが浅はかだったわけですが…。
    ある時ふと目から鱗が落ちて、福音の自由さに気づくことってありますね。

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