持っていかないという備え

イエス様は、弟子たちを伝道のために派遣された際、
「何も持って行ってはならない」という指示をされました。

伝道に向かうために、確かな献身を求めるようでもあり、
そのつど必要なものを与えてくださる神様を信頼しろ、
というメッセージのようでもあり。
私は読むたびに、シャキッと背筋を伸ばされるような気分になります。

しかし、今回も井幡先生の説き明かしは、
やっぱり一味違って、もっと、ど真ん中でした。

主イエスがなにをこそ、弟子たちに伝えようとしていたのか。
何が伝道のいのちなのか、
そこを先生は丁寧に掘り起こしていきます。

神様だけを見ていればいい。
私もそう思っていました。

しかし、そういう一方通行な情熱ばかりで、「正しい教え」を
押し付けるような方法が果たして御心にかなっているのだろうか?
井幡先生は、今までの教会の伝道のあり方についても鋭い指摘をなされます。

本当に神様だけを頼りにするとはどういう事なのか。
事実、主イエスは、この私にどう関わってくださっているのか。
お仕着せではない、血の通った関係ではなかったのか?

一番肝心なことを忘れていた気がします。
今、本当に神の国を広げてゆくために最も必要なこと。
覚悟でも、熱心でもなく、それは…

ぜひ、番組をお聞きいただきたければと思います。


どこへでも、どこまでも―ルカによる福音書
井幡清志(日本基督教団石動教会牧師)
毎週木曜日更新

第60回「持っていかないという備え」ルカ9:1〜6

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“持っていかないという備え” への2件の返信

  1. 小林朋子

    私は茨城県在住の者です。父が認知症になり、自宅を売却して犬猫達と現在住むアパートに越してきました。両親はクリスチャンでは無いのですが、幼い頃に裏の家でキリスト教の基本を学び、以来キリスト教に関心を持ちました。美術鑑賞や音楽でも、ずっと親しんできました。
    そして、アパートにトラクトや礼拝案内が入り、いつか教会に行きたいと思っていたら、たまたま特別礼拝の案内が入ってきて、初めて東海福音キリスト教会に行きました。それ以来、父なる神様と主イエス様のお守りがあるからこそ、生きていられると、深く感じるようになりました。
    元来虚弱で現在も病気を抱え、通院が欠かせず、今年は骨折で大きな病院で麻酔を受け、手術されたのですが、目覚めて真っ先に感じたのは、父なる神様と主イエス様のお守りがあったからこそ、目覚める事が出来たのだという事でした。
    今日の礼拝の折り、こちらの案内ハガキを見付け、初めて聴かせて頂きました。礼拝とはまた一味違って、解りやすかったです。
    これからも毎日聖書を読み、こちらも聴かせて頂きたいです。
    寒い時期、皆様のご健勝を心から願っております。
    父なる神様と主イエス様のお守りが皆様にもありますように。

  2. 私は理系ですが

    私もずっと以前から、日本人クリスチャンが日本人のこと(思想や日本人独自の考え方)についてとても無頓着で、欧米的発想だけでは日本人への伝道は難しいのではないかと考えていたので、井幡先生の番組に出会い、その考え方に同意することばかりです。
     
    井幡先生は伝統的風習の強い北陸という地で牧会されているので、そこに昔から住む人たちに伝道することへの難しさがあるのだと思います。
     
    私が行っている教会も旧東海道の宿場町が近くにあるので、街自体の歴史は古く春や秋には地元の神社のお祭りがあり、町内会などはそれに向かって組織されて一年間のスケジュールが立てられていたりします。そうなっていると、そこにいる人たちに教会は近くにあってもキリストを伝える機会なんてほとんどない。私たちの教会も地元の人より郊外の人のほうが多いそんな教会になっています。
     
    欧米から伝わったキリスト教。
    でもユダヤの地で生まれヨーロッパの地に伝わり、クリスマスが12月になったときは、地元の冬至のお祭りと合体して今の形になったと聞いてます。その他にもキリスト教は長い歴史の中で従来あった土着宗教からの影響というか合体のようにしていろんなイベントが出来て来ていると聞きます。
     
    日本人への伝道においても、本質を失わない程度でもう少し柔軟な対応策があるんじゃないのかなといつも思います。
     
    既存宗教や風習の否定ではなく、それらを超える素晴らしい神様の恵みをもっと多くの人に伝えられたら良いですね。

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