イエスにあって一つだからである。

先日ここでご紹介したRekoさんのお便り「心の性別に違和感が…」をお読みくださった方々からメールをいただきました。
皆さま、お感じになられたこと、またRekoさんの痛みにご自身の痛みを重ねて、率直な思いをお寄せくださいました。
そのなかのRさんからのメールをご紹介させてください。

よな子さま
 
Rekoさんのお便りをご紹介下さった記事を拝見し、
胸がえぐられるような思いがしました。
Rekoさんの苦しみが「罪の結果」だなんて!怒りすら覚えました。
 
もし自分がRekoさんと同じことを教会で言われたら、
教会不信・人間不信に陥ってしまったかもしれません。
RekoさんがFEBCさんにメールをお送りになるという道を選択されたこと、
本当に良かった、と思います。
 
LGBTの方々に対して、
自分自身が全く偏見を持っていないと明言できる自信は、正直、ありません。
何らかのバイアスのかかった見方をしているところがあるような気がします。
でも、そのバイアスを取り除いていくことはできるはずです。
 
Rekoさんの苦しみを、そのまま私が引き受けることはできないけれど、
Rekoさんの生きづらさが少しでも減るように、
Rekoさんが幸せを感じて生きられるように、お祈りします。
 
Rekoさんへの、よな子さんのお返事に、私自身も救われる気持ちがしました。
よな子さん、ありがとうございます。Rekoさん、ありがとうございます。
イエスさまが、いつもRekoさんと共におられると信じ、お祈りしています。

Rさんが、ご自分も偏見がないとは言えない、と正直にお書きくださったのを読んで、ハッとしました。
Rekoさんの苦しみを「罪」としか見ることのできなかった人々と同じ罪が、自分の中にもあるのではないかと思ったのです。

 

人を偏見をもって見てしまう心
自分には理解できず受け入れられない人に寄り添えなくて、遠ざけてしまう心
これは罪か?罪じゃないか?と、「罪人」と「そうじゃない人」に分けようとする心

イエス様を十字架につけたのも、人々のそういう心だったのかもしれません。
イエス様はその心を、ご自身が引き受けて十字架にかかられた。
人を「罪人」とすることで、自分を正しい側に置こうとする私たちを、その隔てを壊して一つとするために。

先日のRekoさんへのお返事の最後に書いたこの御言葉を、改めて思い巡らしたいと思います。

「もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。」
(ガラテヤ人への手紙3章28節)

Rさんもお書きくださったように、Rekoさんの苦しみをそのまま引き受けることは私たちにはできないけれど、
イエス様はそのまま引き受けてくださって、
そればかりか、引き受けられない私たちの弱さをもイエス様が引き受けてくださったから、
このイエス様を共に仰ぐことが、私たちが一つとなるただ一つの道なのだと思いました。


よな子へのお便りやご感想など
voice@febcjp.comまでぜひお寄せください。
お寄せいただいたメールはこのサイトでご紹介させていただくかもしれません。
皆さまのお便りをお待ちしています。

“イエスにあって一つだからである。” への4件の返信

  1. 私は理系ですが

    誰かを糾弾するつもりではないということを最初に書いておきます。
     
    皆さん、偏見なんていう言葉を使ってますが、はっきり言うと「差別」ですよね。
     
    人間は誰しも(クリスチャンであっても聖職者であっても)自分が経験した範囲でしか物事を判断できないし、想像することもできないので、LGBTを含む性的マイノリティ(性的少数派)の人を理解するなんていうことはそうでない人にとっては無理なことなんだろうと思います。
     
    どの国でもどの時代でも15人に1人(6%)くらいの人が性的少数派がいるという調査があり、日本人は世界平均よりも多く13人に1人が性的少数派であると言う調査結果が出ています(日本人は隠れが多いという調査結果もあるそうです)。
     
    これを多いと感じるかどうかというのは人それぞれですが、全く普段の生活でそういう人がいるということを感じないというのであれば、いたとしても見ないようにしている、無視している、または関心がないのかもしれません。
     
    でもテレビを見ていれば、例えばタレントさんでもニューハーフと呼ばれる方やオカマ・オネエと呼ばれる方が出演されて人気も高いので、単に見えてないだけなのかなと思います。
     
    逆に言うと、社会(地域・職場)でも教会でも隠れ性的少数派の人たちがいるかもしれないので、ホントに注意して配慮ある発言をしていかないといけないんだろうと思います。なかなかできることではありませんが。
     
    私の場合、LGBTではありませんが、生まれつきの性染色体異常でホルモンバランスが悪く、男なのに女性っぽいせいもあり、小中学生時代はイジメを受け、会社に入った後も執拗なパワハラを受けうつ病にもなりました。私が先天的に正常な男性ではないというのは体調不良でホルモンバランスを調査した結果、判明してしまいました。当時はお先真っ暗なショックがありました。当時すでにクリスチャンでしたのでなんとか乗り越えましたが、クリスチャンでなかったら自殺を選んでいたかもしれません。
     
    そうでなくても、いろいろ不調があり、神様はなんでこんな自分にしたんだ?と恨んでいます。
     
    こういうのは性的少数派だけの問題ではなく、障害を持って生まれてきた人たちにも言えることなのでしょう。
     
    そういった意味でも性的少数派の人にも生まれつき病気や障害を持っている人にもイエス様の福音は励ましと勇気と希望を与えてくれます。
     
    私は自分の経験からも、こういう人々にイエス様の福音が述べ伝えられ、苦しみながら生きている人々の救いとなることを願って止まないのです。
     
    そのためにも多くの兄弟姉妹の皆さんが裁くのではなく関心を寄せて下さって祈りに覚えていただけたら幸いに思います。
    ひとりでも多くの人たちの苦しみが癒されるように。

    人には理解できない苦しみ・悲しみであっても、天の父なる神様やイエス様は私たちの苦しみ・悲しみを理解し支えてくださるのだから。
     
    長文、失礼いたしました。

  2. hanacoco

    私も偏見を持っていないとは言い切れません。教会にはやはり偏見は存在します。私の場合は離婚歴があること、子どもに恵まれなかったと言うことが洗礼を受けた後ある協会員の方に知られ、職場までいらしてクリスチャンに相応しくない、あなたが教会に来た時態度が悪く迷惑した。奉仕はして欲しくないなどです。離婚歴のある人間への偏見なのでしょうか。今はとても辛く、離婚の前に殴り殺されたほうがよかった、自死した方が良かったのかと思うようになりました。偏見はクリスチャンとして新しく生きようとするものにとって足枷となり、いきる希望が苦しみになります。それがとくに自分の消えざる過去や心の
    問題の場合は深刻化します。せめて礼拝の時位はお互い真っ白な心で向かい会いたいものです。

    • JQ2NJP クマちゃん

      hanacocoさん

      私は男性です。そして、私は、離婚調停を不調にされました。離婚するためには、家庭裁判所ではなく、地方裁判所に訴訟を提訴しなければなりませんでした。そして、その訴訟費用を自分で負担することができなかったので、離婚もできません。そして、息子がいますが、私が医学的に無精子症のため、特別養子縁組で、私の息子になった息子です。私は洗礼も受けています。2012年の12月2日に洗礼を受けたから、まだ、丸四年しかたっていません。そのうえで、あなたの文章を読んだうえで、私も、偏見を持っていることを正直に告白します。そのうえで、あなたに文句を言ってきた方を気にすることはないとお伝えしたいのです。だって、私たちは、神様の前で、おおいなる罪人なのです。その職場まで押しかけて来られた方を、悪く言っても、罪人が罪人を悪く言っているのです。もちろん私は、あなたの悔しい気持ちが、類推できます。だから、あの調停を不調にされたときの、愕然とした自分の気持ちを忘れることはありません。そして、あなたの文章を読んで、また、その時の気持ちを思い出しました。しかし、イエス様はおっしゃいます。「七の七十倍赦しなさい。」七は当時の完全数でした。七でも永久という意味があるのに、七の七十倍だったら、完全に赦しなさいということを意味します。実は、私にも、「赦せない!!」という相手がいます。そのことを自覚・告白しつつ、やっぱり「赦し合いましょう」と叫びたいのです。自分が、イエス様殺しの大罪人である以上、相手の罪は、自分より軽いから、赦さなければならないのではないでしょうか?口幅ったく、書きました。ご気分を害されたら、申し訳ありません。それでも、イエス様は、あなたや、私とともに、毎日いらっしゃいます。アーメン!

  3. korin

    LGBT 少し前までよく知らなかったのですが、友人に教えられて知りました。
    以前は正直なところ、少し偏見を持っていました。でもその友人に本気で叱られました。
    私自身が、うつ病になってやっと多様な人々の立場が少しづつ理解できるようになりました。
    今では偏見を持っていたことを恥ずかしく思います。聖母マリア様にお祈りして感謝致します。

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