屠られたような小羊

ヨハネの黙示録5章6節
「わたしはまた、玉座と四つの生き物の間、長老たちの間に、
屠られたような小羊が立っているのを見た。
小羊には七つの角と七つの目があった。
この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。」

「屠られたような小羊」という表現がありました。
最初は引っかかりもなく、軽く通り過ぎてしまったのですが、
じっくり見返してみると、十字架にかかられた主イエスを表すときに
よくつかわれる「屠られた小羊」ではなくて、「屠られたような小羊」。

些細なところかもしれませんが、この箇所がずっと私の心から離れませんでした。

なぜそんな表現をしたのか?ヨハネはこの時点で、
迷っていたのではないか。そんな気がします。
十字架の彼がどういう存在なのかという事に。

第一、天の人も、直前の聖書箇所で
ヨハネに対してこのように主イエスの事を紹介していました。

ヨハネの黙示録5章5節
すると、長老の一人がわたしに言った。
「泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、
七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる。」

百獣の王である、勇猛なライオン。
ユダヤ民族最強の王であったダビデの子孫。
圧倒的な覇者の力を感じる表現です。

しかし、実際にヨハネが幻に見たのは、真逆の有様。
もはやボロボロの、弱々しい小羊の姿。

彼はこのギャップにびっくりしたんじゃないでしょうか。
戸惑いながら、もっと強そうな方じゃないのか???って。
しかし目をこらすと、この方には、七つの角があって七つの目がありました。
それからヨハネはこの方を「屠られたような小羊」ではなくて、
「屠られた小羊」と言い表すようになります。

「屠られたような」。凄惨な状態ですから、実際には、一目瞭然なはずです。
しかし、一方でなかなか、正しく言い表すことが
とても難しかったのではないかと思います。

そこには、主が私の罪の為に屠られた、
その事を直視する厳しさがあったのではないでしょうか。
だからこそ私も、ここに引っかかりました。

主イエスを「屠られた小羊」などと諳んじていても
実際のところは、最強のライオンを欲している自分の心を強く感じました。
そこには罪の問題を区分けにして、関わろうとしない自分の姿が見えます。
本当に申し訳の無い事です。
小羊の世界に満ちる七つの角と目。それは何より私に向けられていました。
ただただ、ひれ伏して祈ります。
(新人N)


なかなか続けられない聖書通読。
でも一緒に読む仲間がいれば続けられるかも!
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“屠られたような小羊” への1件の返信

  1. 三日坊主の天才

    私は三日坊主の天才なので、頑張って続けよう!と思っていると三日も続きそうにないので読めないときは、今日は通読休暇日!としています。そして、ちょっとづつ遅れを取り戻して、また休暇日があって、といった3歩進んで2歩下がるです。これは、これでなんだか楽しくやっています。

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