罪の赦し

いかに幸いなことでしょう
背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
(詩編32編1節)

今日の「恵子の郵便ポスト」のお便りをお聴きしながら、この御言葉が思い出されました。

家族に深く傷つけられ、痛み続けてこられたこのかたが、日々のご生活の中でなさったひとつのこと。
イエス様の足もとで静まり、そこにとどまり続けること。
それを続けるなかで見えてきたのは、ご自身の罪。

自分を苦しめていたものは私自身の中にもあり、結局いつも自分が被害者だったわけではなく、自分もいつ人を傷つけるかもわからない存在だと知る必要があったと思い始めました。
私もイエス様を十字架にかけた人間の一人だと認められれば、そこから救われていく・・・

誰かから傷つけられたとき、その傷が深ければ深いほど、私たちは「傷ついた自分」を握りしめて手放せなくなってしまうのかもしれません。癒やされたいと願いながらも。
でもこのかたは、ご家族から受けた傷のためにそれまでは難しかった「人に心を開くこと」が「これからは少しずつできるような気がしています」と。

自分の罪ゆえのイエス様の十字架。
そこにだけ、本当に癒やされて生きる道があるから、私もこのかたのように、イエス様のもとで静まり、そこにとどまり続けなければならないと思いました。

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