一歩踏み出した、ヨセフとファラオ

創世記41章37-40節
ファラオと家来たちは皆、ヨセフの言葉に感心した。
ファラオは家来たちに、「このように神の霊が宿っている人はほかにあるだろうか」と言い、
ヨセフの方を向いてファラオは言った。
「神がそういうことをみな示されたからには、お前ほど聡明で知恵のある者は、
ほかにはいないであろう。お前をわが宮廷の責任者とする。…」

ヨセフが凄い人だというのは、説教でも聴きますし、そういうイメージがありますけれど、
改めて聖書を読むと、このファラオもかなりの人物ですよね。
だってまだ、ファラオの夢の解き明かしの結果は全然判らないんですよ。
それなのに、牢屋に入っていた外国の異教の一奴隷に対して、
国の全ての権限をパッと与えてしまう。

考えてみれば、異常な事態というか、
周りも反対しなかったんだろうか?って思うんですが、
実際は、家来たちもヨセフの言葉にすっかり感心してしまっている。

まして、ヨセフの解き明かした内容って別段に
慰めぶかいとか、感動するとか、そういうわけでもない。
豊作が7年くるけど、飢饉が7年くるという、それだけの話。
一体このやりとりはどうなっているんだろうかって、考えこんでしまいました。

あいかわらずよくわからない箇所です。
ただ、同じ章の16節で、
「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。」
というヨセフの発言がありました。
そしてこれは、ファラオの夢の内容を聴く前の言葉。

決して同じ神を信仰しているわけでもない、身分も天と地の差がある。
しかし、そこで「ファラオの幸い」を「わたしの神が告げる」と言い切るヨセフ。
私の旧約の神様の熾烈な印象からすると、
「え?この神さまが、異教徒に?そんな事あるの?」ってつい思ってしまうんですが、
しかしヨセフはそこから一歩踏み出して、実際に神からの幸いを語ったんですよね。
だからこそ、ファラオも心とらわれ、決断したのかも?そう感じてきました。

きっとキリスト者の信仰にとって、この一歩はとても大きい。
私も、踏み出していけますように、祈っていきます。
(新人N)


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“一歩踏み出した、ヨセフとファラオ” への1件の返信

  1. marie

    『創世記』、初めて読み通すことができました。
    アダムとエバから始まり、一癖も二癖もある、個性豊かな人物がたくさん登場すること、(意外にも?)濃~い人間関係が描かれていること、に新鮮な衝撃を受けました。

    ヨセフといえば、初登場の37章のエピソード(ヨセフが、兄たちの神経を逆なでするような夢の話を平気でして、ますます憎まれてしまう、という内容)に爆笑してしまいました。この「夢の話」が、ヨセフののちの運命の伏線になっているとも知らず、「ヨセフって、空気が読めない子なんだな・・・。この危なっかしい子が、これからどんな人生を歩むことになるんだろう?」などと呑気なことを考えていました。しかし、50章のヨセフに兄たちが赦しを乞う場面で、37章のエピソードがよみがえり、思わずあっと息を吞みました。

    特に印象的だったのは、ヨセフが二人の子供につけた名前です。
    長男には、「神が、わたしの苦労と父の家のことをすべて忘れさせてくださった」から、マナセ(忘れさせる)と、次男には、「神は、悩みの地で、わたしに子孫を増やしてくださった」から、エフライム(増やす)と、それぞれ名付けました。波乱万丈なヨセフの人生を振り返ると、子供たちの名前に込められた意味に、胸が締め付けられる思いがします。

    「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます」という力強いヨセフの言葉を心に刻み、明日から、『出エジプト記』に入ります。

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