褒めるって大事!だけど・・・

人から褒められるのは好きですか?
私はもちろん大好きです。
褒められると自然に「もっとがんばろう!」という気持ちが湧いてきます。

実は私の父は料理上手なのですが、
最近あんまり料理をしなくなってしまったのです。
でも先日、久しぶりにビーフシチューを作ってくれたので
「どうやったらこんなに美味しく作れるの?」
「どうやったらこんなにお肉が柔らかく煮込めるの?」
などなど、とにかく褒めまくったんです。
そうしたらやる気が出てきたみたい!

「外食ばっかりじゃ体に悪いよ」とか
「買ってくるより作るほうが経済的だよ」なんて説教されるよりも
作ったものを「美味しい美味しい」って言ってもらえるほうが
また作ろう!という気持ちが湧いてくるんですね。
褒めるって大事!

でも、ここしばらくの聖書通読の箇所に出てくるイエス様は
全然褒めてくれていないのです。
むしろ叱りまくっている・・・

 

そのきわめつけは8章33節。
イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。
「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」

9章19節のイエス様もかなり怒ってます。
イエスはお答えになった。
「なんと信仰のない時代なのか。
いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。
いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。」

10章でもイエス様は弟子たちに憤り、
11章ではいちじくの木にまで怒りを発し、
神殿では大暴れして商人を追い出し、
その後は祭司長や律法学者といった当時のお偉いさんまで厳しく戒めています。

人間は褒められれば良い気分になり、
叱られればいじけたりヘソ曲げたり恨んだりするもの。
でもそんなことはイエス様だってよーくご存知だったはず。

それでも怒ることを止めなかったイエス様には
十字架での最期が近づいています。

「いつも共にいる」「愛している」
私はイエス様のそういう言葉が好きです。
でも、本気で怒りを燃やして叱るイエス様を無視して
聞き心地の良い言葉だけ聞こうとする私にも
「あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」
そうイエス様は、悲しみを込めてお叱りになっているように思いました。

このイエス様のお叱りを真剣に受けとめなければ
イエス様がなぜ十字架にかかられたのか、
本当には知り得ないのかもしれません。
「いつも共にいる」「愛している」
私の好きなイエス様の言葉も、本当には聴けていないのかもしれません。

(よな子)


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褒めるって大事!だけど・・・” への3件の返信

  1. korin

    子供と同じく、大人でも褒められれば嬉しいですよね。最近は、「褒める文化」というビジネス用語もあります。叱られるよりも褒められるほうがうれしいですね。でもやはりイエス様に叱られたなら納得しますね。後でマリア様に泣き付きますけどね(^^)

  2. 理系です

    えーっと、自分の場合、性格がひねくれているのかなぁ。
    自分の場合、褒められるということがあまりないので、いや、褒められているのかもしれないけれど、自分自身あまり関知しないので、ふだん褒めない人が褒めてくると、「なんか裏があるんじゃないか?」とか感じちゃうんですよね。
    それと、「人を褒める」にはまず自分の心に余裕がないとできない。他人を褒められる人ってすごいなぁ、と感心します。
    さて、イエス様が叱ったのは、その人を本当に大切に思っているからじゃないかな。その叱りつけは結局、イエス様の愛の裏っかえしのような感じもするんですよね。
    どうでもいい人なら(または赤の他人なら)、怒るかもしれないけれど、叱らない(叱るのと怒るは違う、とかそういうのあります)。
    でも、自分の大切な人、親友とか、親なら子供とか、が間違ったことをしているなら、やはり放ってはおけない。そこは場合によっては命を懸けて直させる、そんなこと思うのです。
    聖書のどこかの箇所、ヘブライ人への手紙だったかな。「訓練と思って耐え忍べ」とかほんとやめてほしいと思うことはしょっちゅうです(苦笑)。
    あとでその訓練が実を結び、自分に返ってくるのは実感としてあるんですが。

  3. JQ2NJP クマちゃん

    よな子さん
    おはようございます。思わず「良薬は口に苦し」を思い出しました。
    耳障りのよい言葉は、私も多く聞きたく思いますし、耳障りの悪い言葉は、聞きたくありません。しかし、私も叱られてられて、この年まで生きて来ました。振り返って思うと、叱られた経験のほうがあとあとまで、何かしらその状況や状態などが思い出されます。それだけ神様が、私に必要な学びを、あとあとまで残るように、インパクトある方法で、伝えているのでしょう。(けれども、あまり耳障りの悪い言葉は、聞きたくないなぁ・・・・・・)

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