息子に分け与えられた財産

ルカ15:32
「お前の弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。
祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」

子を愛する父なる神さまの姿が描かれている「放蕩息子」のたとえ話。
今日は少し気になったところが有りました。

それは、お父さんが語った、
「あの弟は死んでいた」という言葉。
これは弟の、「わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました」
という告白と直結しているのかなと感じました。
ああ、放蕩息子は実際に罪に死んでいたんだなあと。

じゃあ、この弟が犯していた、死ぬほどの罪って何だろうか?
多分、金遣いが荒いとか、娼婦を沢山囲ったとか、そんな事では無さそう。
知っているようなつもりでしたが、
父から離れてしまった。きっと関わりを捨てた事自体が、死の罪だった。

とすれば、「お前たちには、私から独立して生きていく力など無い」
お父さんの「弟は死んでいた」発言を裏返せば、
そういう厳しさも含んでいるなあと私は感じます。
実際は、中々受け入れがたい響きを持っているなあと思います。

弟の「死とよみがえり」を知った時、兄は不機嫌になりました。
不公平に怒ったのは、自分なら失敗もしていないし、間違いもない。
とどこかで考えているからだと思います。
だからお父さんの事も、あなたは間違っていると否定してしまう。
自分一人でやっていけるとうぬぼれている。

そしてなかなか、その思い込みは無くなりませんでした。
だからこそ、最大の「死とよみがえり」、主イエスの十字架が
私達に見せつけられたのだと思います。
それは、私がすでに罪に死んでいる事を痛感し、
生き返らせていただくために…

自分は兄で責任持って、頑張っている。
そんな思い込みに疲れ果てた時に、
本当の長男のイエス様がやってきて、
本当の意味で責任をとってくれた、と思いました。

そして、父が分け与えてくださった
一番の財産はこの方だったと。

ひれ伏すような思いで、
今日は神さまの愛の底しれなさを感じました。

(新人N)


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息子に分け与えられた財産” への4件の返信

  1. korin

    放蕩息子のお話。初めて読んだ中学生の時から心に残っています。そんな息子でも暖かく迎えてくださる神様ならば、私でもいいのかしら?と思っていました。(^^)

  2. もえ

    絵が怖すぎです。リアルすぎて倒れました。

  3. JQ2NJP クマちゃん

    私もmarieさんと同じように、感情移入して思います。私自身15歳のときに、イエス様が来てくださったのに、なんと2012年12月2日まで、放蕩生活を続けたのです。この日に洗礼を受けました。それ以来、なんとかイエス様のオハナとして努めようとするのですが、いつも、人間の力なんかではオハナになり切れないことを教えられています。ただ御子イエス様に教えられて、聖霊に満たされて、父なる神様に生かされることしかないのです。まさに神は愛なりです。この気持ちで毎日病棟看護に励んでいます。

  4. marie

    非常に身に沁みるたとえ話です・・・。読むたびに、感情移入する対象が変わります。ある時は、弟の立場になって、またある時は、兄に共感しながら、物語に入り込んでしまいます。「憐れみ深いお父さん」は、正直なところ、弟に甘すぎるといつも思うのですけれど(笑)。でも、このお父さんが、自分を捨てた愚かな下の息子がボロボロになって帰って来る途中、まだ遠く離れていたのに、わざわざ見つけて、憐れに思い、自分から走り寄って首を抱き、接吻までして喜んで迎え入れるシーンは、いつ読んでも胸がいっぱいになります。

    父なる神さまも、私たちがどんなにひどい過ちを犯しても、神さまから離れることがあっても、神さまのもとに立ち返りさえすれば、このお父さんのように喜んで迎え入れてくださるのだと思います。否、たとえ私たちが神さまを拒んだとしても、それでも、神さまはいつも無条件で私たちを愛してくださっている(お父さんが、怒っている兄をも深く愛しているように)・・・私はそう信じています。

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