悲しみを知る

本日4月3日から、伽賀 由先生による新番組、
「たとえ言葉にならなくてもー主日の説教から」が始まります。
その第一回目は、マタイによる福音書5章の山上の説教の場面から。

マタイ5章4節
「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」

伽賀先生はこの聖書箇所を読んで、
「私は心の奥底で悲しみを知っているだろうか?」と問われました。

悲しみなんて知らないほうがいい。
楽しく暮らしたい。それがみんなのごく自然な願いです。
しかし、この地で生きていく中で、
悲しみに全く触れずに暮らすというのは、不可能ですよね。

だからせめて、そこから程々の距離をとって
明るくふるまう事に、いつの間にか慣れきっている私達。
実は、悲しみを知るという事は、とてつもなく難しいことなのかもしれません。

しかし、そんな向きあえない私達に、主イエスは、
「悲しむ人々は、幸いである」と語られるのです。
そして、その人たちこそ、慰められると。

心の底、更に奥底に隠していた悲しみ。
一人では到底立ち向かえなかったその痛み。
そこに与えられる慰めとは一体何なのか。先生のお話に聴きます。


たとえ言葉にならなくてもー主日の説教から
伽賀 由 (日本メノナイトキリスト教会協議会 日本メノナイト帯広キリスト教会牧師)
毎週月曜日更新

第1回「幸いな人として生きよう」

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悲しみを知る” への1件の返信

  1. のりぴい

    こんにちは。初めまして。のりぴいと申しますS24.5生まれのオジサンです。
    今日から「たとえ言葉にならなくてもー主日の説教から」が始まりましたね。
    私は30歳の飲酒事故により現在に至っています。
    若い異性のお話より何かを得たいと望んでいます。
    今日は幸福の定義のお話でしたが、聖書の定義は不幸こそ幸福であるとされています。
    始は終りとか、世の中には幸と不幸が同居するから幸を選べ、などの思いが並んでいます。
    全ての人は幸福を望んでいますから、その力となる信仰の言葉を教えて下さい。
    もうすぐベテスダで癒された老人と同じく38年を迎えようとしていますから
    イエスへの期待は大きいです。この癒しにより多くの人に神の力を知って欲しいです。
    たとえ癒しが無くても「君はこのために生まれて来たんだ。」という神の語らいを待ちます。

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