洗礼って何なのでしょう?

洗礼っていったい何なのでしょうか?
こんな私が洗礼をうけることはとても考えられません。

今日の「恵子の郵便ポスト」でお読みしている、男性のかたからの問いです。
教会で洗礼をすすめられたこのかたは、このようにお便りくださっています。

私にとっての洗礼のイメージは、キリスト教を心の底から信仰し、イエス様を受け入れることだと思っています。
教会に通うようになってからまだ1年にもならず、残念ながらまだそこまでの心境には達していません。
教会のかたは「そんなこと関係ないよ」と言うのですが…。

私はうつを患っていて、自殺未遂をしたことがあり、
その際、神父様に大変お世話になり
感謝の気持ちで礼拝に通うようになりました。

しかし、聖書をまともに読んだこともなく、
説教中もうたた寝しているような状態で、
いまだに自殺願望があります。

本当にこんな状態でも洗礼を受けていいのでしょうか?

このかたが「洗礼」ということをこんなにも真剣に考えていらっしゃることに胸を打たれたのと同時に、
今の私は、このかたほど、洗礼を自分にとって大切なことと思っているだろうか?
よく「洗礼はゴールじゃなくてスタート」と言われるし、私もそう思ってきたけれど、
私にとっての洗礼は過去のもう終わったことになってしまってはいないか?
そう問わされました。

洗礼って何なのでしょう?

このかたのお便りを通して、洗礼を受けたかたも、受けていないかたも、ご一緒に考えてみませんか?
今の私にとっての洗礼とは?を。

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9 Replies to “洗礼って何なのでしょう?

  1. FEBCスタッフ

    「私にとっての洗礼とは?」をご一緒に考えてみませんかと呼びかけましたが、
    皆さまのコメントをお読みし、
    洗礼について考えることは、私と神様との関係を見つめることに他ならないのだなと思わされました。

    だから神様にとっては、洗礼と無関係なかたは一人もいらっしゃらないのではないかと思います。
    洗礼を受けて教会に通っているかただけではなく、
    様々なご事情で洗礼を受けられないかたも
    今は必要ないとお思いのかたも
    受ける決心のつかないかたも
    洗礼は受けたけれど今は教会に行っていないかたも
    どのようなかたも。

    洗礼によって、人が人を線引きしたり排除することは決してしてはならないと思います。
    そうではなくて、イエス様ご自身も受けられた洗礼は、だれにとっても尊い、神様の恵みであることを共に覚えたいと思います。

  2. ryuka

    信仰と言うのは、自分の肉の力で得るものではなく、神様が与えてくださる、素晴らしい恵みです。イエス様と出会い、心から受け入れられるのも、大祭司でおられ大牧者でおられるイエス様に導かれて出会うことができるのです。
    私は教会に行っておらず、洗礼も受けていませんが、洗礼について悩むことはありません。
    洗礼よりも「神様が与えてくださった信仰」を
    重要視してるからなんですね。
    だからとても平安で、洗礼とか教会云々で思い煩うことがないのです。
    神様が私に「洗礼を受けてほしい」と思われるならば、導いてくださると確信しているので
    お委ねしています。
    私も長いことうつ病を患い、自死を図ったこともあるのでお気持ちわかります。
    病気のことや洗礼のことも含め、神様にお祈りされてはいかがでしょうか。神様と親しくなり、お委ねできるようになった時、洗礼へと導いてくださるような気がします。
    洗礼→信仰ではなく、信仰→洗礼の方が私は良いと思います。

  3. 匿名

    キリスト教を心の底から信じる=×
    イエス様を心の底から信じる=◯

    洗礼を受けたからクリスチャン=×
    イエス様を心から受け入れ、求め、信じ、愛する人がクリスチャン=◯

  4. たぬきさん

     1年前から教会に通っておられ、神父さまから洗礼への打診があったという事は、すでに入門講座は受けられていて、気持ちとしてはその方向にはあるものの、まだしっかりとは固まらず、そのタイミングを推し量っておられるのだと感じました。
     カトリック教会のレントには「洗礼の準備(昔は通常の成人洗礼は年に1度だった為の名残らしいです)」と「節制と悔い改め(すでに洗礼を受けた人も洗礼を受けた時の志をもう一度新たにするためで、ここでいう節制は夜な夜な話に出てくる「苦行」とは意味合いが違います)」という意味合いがあるため、洗礼の一つのタイミングとして打診されたのではないかと思います。
     岩島神父さまの「キリスト教信仰入門講座―洗礼と堅信」から、バプテスマの語源「沈める」「浸す」は死を意味し、古い自分に死んで再生するという価値観の転換という言葉がありました。自分の過去を割り切って、今の状況をありのままに受け入れて、そんな自分と共にいてくださる神さまを信頼し、これから先ともに生きたいという気持ちのけじめとしての洗礼もありかとも思います。
     「自分の気持ちがついてくるとはキリストの「平安」に当たる」と聞いた事があります。だから神さまが背中を押してくださるのを待ちつつ、「道をお示しください」と祈り続けてはいかがでしょうか。

  5. とら

    昨年洗礼を受けた者です。私も直前まで、散々迷って洗礼を受けました。私もこの方と同じように、「自分はふさわしくない。心の底からイエス様を受け入れられるのか?洗礼を受ける資格がないのでは?」と、、もう金縛りにあったようでした。

    肉親の死やFEBCの放送で背中を押され、自信はないけど洗礼を受けたいと思いました。そのとき代母さんから言われた言葉です。
    「どんなに勉強しても、頭で考えても、人間には限界があります。でも洗礼は神様からの恵みです。神様が、お呼びになったのです。」そして受洗し、色々な方にお世話になり今日に至っています。
    信者になったからといって、抱えていた問題が解決するわけでもないです。
    ただ、うまく表現できないのですが、私にとってイエス様は私が辛いときに、一緒にいてくださる方。決して離れることのない方だと、確信しています。

    洗礼は本当に恵みであると感じています。

  6. korin

    経験の少ない私ですが、洗礼を受けていなくても心の中に神様がおられれば良いと思います。教会学校に通っていた時、ゆくゆくは洗礼を、と先生が仰って下さり、私もそのつもりでしたが、転居で教会を離れてしまいました。でも何年経っても心の中にマリア様は居て下さいます。(^^)

  7. 理系です

    4月7日放送の岩島神父の番組「キリスト教信仰入門講座」の内容がまさに「洗礼と堅信」でしたね。特設サイト「キリスト教を知る」からも聴けますね。
    それによると、『洗礼…クリスチャンになるという「敷居」=大きな決断』と言われていますね。キリスト者になる「覚悟」とも言い換えることができるかもしれませんし、(この世の罪との)「決別」「踏ん切り」と言い換えることもできるかもしれません。
    ‥‥‥
    私の場合、イエス様との出会いは小4の時で、本当に信じて心に受け入れたのは中2の時でしたが、受洗するチャンスがありませんでした。当時、自分はまだ中学生だったので、教会の信徒の方も牧師先生も遠慮されていたのでしょうか。教会学校だけでなく礼拝にも出席していたので、牧師のほうから声かけがあるとばかり思っていて、自分からは手を上げなかった。これで、この後、教会に行かなくなってしまったので、受洗するチャンスを逸してしまうのです。そのあと、また教会に導かれるのですが、その際はもう「年貢の納め時」のような感じで自分の中で「宙ぶらりんはイヤだ」と手を挙げて洗礼(バプテスマ)を受けました。この時、迷いがなかったかというと、なかったわけではなかったけど、この時を逃すとまたチャンスを失いそうで。実際、またそのあと、教会から離れてしまうので(数年後、復帰しましたが)、この時、受けといてよかったと今は感謝しています。

  8. 金澤 実

    仕事が終わって、スマートフォンで1日ぶんを聴いています。いつもありがとうございます。
    洗礼って何なのでしょうか?ここ数ヶ月の課題です。妻とふたりで、いわゆる福音派の教会に通っていました。妻はそこで洗礼をうけましたが、わたしは未洗です。ある日祈祷会で、天のお父様と祈っていたところ牧師に言われました。洗礼をうけていない奴がいくら祈っても神様は祈りを聞かれないし、教会にいくら来ても何にもならない、と。ちょっとショックでしたね。行くのはやめました。洗礼って何なんですか?免罪符?会員権?

    • FEBCスタッフ

      洗礼は、人を線引きして分け隔てするものでは決してないと思うんです。
      そもそも神様は、人を分け隔てするおかたではないですよね。
      本当は洗礼は、全ての人を愛して招いておられる神様の恵みだと思うんです。

      なのに人間は、どうしても人を分け隔てしたくなっちゃう厄介なところがあって、神様の恵みの洗礼すらもその手段にしてしまうのですね。
      その牧師の発言は本当に残念で、神様も「そうじゃないのに…」って悲しく思われたのではないでしょうか。

      でも、毎日FEBCを聴いてくださって、こうしてお気持ちを打ち明けてくださって本当にありがとうございます。
      どうかこれからも金澤様が安心して「天のお父様」と神様に向かって祈れますように。
      そう祈る者を神様は無条件で受け入れてくださらないはずがありませんから。

      そしてどうぞ、神様がどのようなおかたかを知ることを、ご一緒に求め続けていかせてください。
      きっとその先に、金澤様にとっての「洗礼とは?」の答えを、神様が与えてくださると信じています。
      洗礼は神様の恵みですから。

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