「恵子の郵便ポスト」でお読みしている
聖書通信講座をお申込みくださった50代の男性からのお便りに
なんだか妙に共感してしまいました。
このように綴られています。
人前で自分をさらけ出せば傷つけられる。
それよりは、すべてを隠し込んでおとなしそうにしているほうが得策と考え
心の内を隠して忍従生活を送っていました。
このお便りをくださったのは服役中のかたで
刑務所内での人間関係についてお書きくださったのですが
これは私自身の現実にもあることだなと思ったのです。
人前で本当の自分を隠している
自分が傷つかないために
それが良いか悪いかというよりも、
そうしないと生きていけない現実。
このお便りのかたは、その孤独と苦しさの中で
支えとなるのは神の福音ではないかと
聖書通信講座をお申込みくださいました。
人に対しても、そしていつの間にか自分自身に対しても
隠し込んでしまった本当の自分。
でも私たちはだれもが、その本当の自分を
捜し求めてくださるおかたを必要としているのではないでしょうか。
「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」 (ルカ19章10節)
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「しかし、主と交われば、一つの霊となるのです。」1 コリント6:17
ダークマターと言う科学用語をご存知ですか。
この宇宙は細胞のように全て繋がっているそうです。
辛い毎日、人生。
でも何か意味があり、何かと繋がっているのではないでしょうか。
私も自分を出さずに生きています。
しかし必然的に、何かと繋がる日が必ず来ます。
信じて生きましょう。 祈ります。
私は決しておとなしいタイプではなく、また建前で人と接することができないタイプで、いつも本音で人と話したい人間です。
ですが、神様から信仰が与えられ、どんなに神様を愛していても「教会に行っていない(行けない)」「洗礼を受けていない」この2つの理由だけで、どれだけクリスチャンに傷つけられたことでしょう。いつも綺麗な言葉遣いじゃなければ「造り変えられていない」と言われてしまったり、教会に行っていないだけで異端者扱いされてしまったり、信仰を否定されてしまったりで、私にとってはキリスト教という宗教が刑務所のようです。なのでクリスチャンの前では心を閉ざすようになってしまいました。私が私のままでいることを、神様は赦してくださるのに(「そのままで良い。自分らしくいなさい」と仰ってくださったのに)クリスチャンは私を赦してくれません。なのでこの聖書通信講座を申し込まれた方が感じている閉塞感がよくわかります。福音は、キリスト教にあるのではなく、父なる神様と御子イエス様と、神様のみことばが書かれている聖書にあるということを、本当に知ることができますように。
※キリスト教を信仰なさっている方に、ご不快の念を抱かせてしまったら申し訳ありません。
キリスト教を信仰することと、神様を慕い求め、信頼し共に歩むこととは全くの別物と、真実に神様から示されましたので。
ryukaさんへ
傷つけてしまったようで、クリスチャンの一人として、なんとも申し訳なくお詫びします。
それで、教会やクリスチャンへの反発というか不信が起きてしまったのですよね。
私自身もクリスチャンになってからですが、同じ教会のパリサイ人のような兄弟姉妹に祈祷会で泣かされて、一時期、違う教会へ行っていたことがありました。戻ってきたのはその方を赦せたということではなく、神様の導きを反故にするのはいかがなものかと思ったからです(いまだにその方と一緒になると緊張するし避けてしまいます)。
なので、ryukaさんも、また導かれてryukaさんにあう教会に導かれるよう祈ります。
キリスト教会と言っても伝統的にかたい(まじめ)で歴史のある教派から、若い人の多い縛りもゆるい教派までいろいろあります。また、同じ教派であっても神父様や牧師先生の方針やカラーによる影響も多々あります。
だからまた気が向いたら、出かけてみてください。
同じ目標、目的を持った仲間(信仰の友)がいるということの心強さは何物にも代えがたいものがありますので。
ryukaさんのために、お祈りしています。