心の目のピント

このたびの九州豪雨により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
ちょうど1年ほど前にFEBCが取材にお伺いした地域でもあり、被害の大きさに心を痛めております。
速やかに必要な支援が届きますように、この苦難の時、被災者のお一人おひとりに主イエスの慰めと守りを切にお祈り申し上げます。

「目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。」
(ルカによる福音書11章34節)

井幡先生はこのみことばから、これは「心の目のピント」について言ったものではないかと語られました。
何か大事なものに対して、本当に私たちが見なければいけないものにピタリと焦点が合わさっている。
これが「目が澄んでいる」ことなのだと、イエス様がお示しくださったのではないか、と。

そして、このお話の中で私が最も印象深かったのは、
日本の教会の現状に対する認識についての話題でした。

私自身の経験として、いわゆる教会が“成長”する時
というものを感じたことが無かったんですよね。
端的に言えば、常に私の教会生活は
「年老いていく教会」の中にあったと言えるかもしれません。
多分同世代の20代の方の多くは、似たような感覚を持っているのではないかなあと思います。

でも、井幡先生は、そういった物の見方って、
聖書に示されている考え方かな?って問うんですよね。
あなたの思っている「成長」とか「教勢」って本当にそういう事?って。
もしかしたら、あなたのピントは合っていないかもしれないよ、と語られました。

…正直、そんな事考えてみたこともありませんでした。

でも、確かに主イエスご自身が
そもそもそういうお方だったかもな…と思うんです。
2000年前の世界で「神の国はもうすでに来ている」と
おっしゃられた方ですものね。
そして、その国をがっちり打ち立てるためにこそ、
このお方は十字架にかかられました。

別に楽観視するわけではありません。
むしろ傍目に力が弱まっているような状況であるからこそ、
このお方がいのちを捨ててまで約束して下さった事が
一段と輝きを増す様に思うのです。

自分の浅い見方でため息をつくばかりではなくて、
十字架が結ぶピントで今日をしっかりと見つめたい。
今回、そのように思わされました。


どこへでも、どこまでも―ルカによる福音書
井幡清志(日本基督教団石動教会牧師)
毎週木曜日更新

第91回「心の目のピントを合わせる」

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