十字架につけられたキリスト以外、何も知るまい

しばらく前からFEBCのサイトにご感想フォームができたこと、お気づきでしょうか?
このページでは、皆さまがお寄せくださったご感想の紹介もしています。
不定期に更新しているので、時々のぞいてみていただけたらうれしいです。
そしてもちろんぜひ、ご感想をお寄せくださったらもっとうれしいです。

先日、このフォームから、代田教会の礼拝説教をお聴きくださったかたからご感想をいただきました。
ぜひ皆さまとお分かちしたいと思ったので、今回ここでご紹介させていただきます。
ニックネーム・カエルさんからのご感想です。

代田教会の礼拝説教「十字架につけられたキリスト」を聴きました。
 
私はクリスチャンですが、教会とクリスチャンが大嫌いで、もうかれこれ五年ほど教会に行っていません。
まだ毎週礼拝を守っていた当時、クリスチャンである夫は、家では私を罵倒してばかりいました。
その苦しみを牧師や婦人会の方々に相談しましたが、返ってくる言葉は「妻は夫に従いなさいと聖書にある」「祈れば解決する」というものでした。
怒りに任せて家具を壊す夫に従うように耐え、祈りが聞かれないのは私の信仰が薄いからだと自分を責めました。
いつか夫に殺されるか、自殺をするか、夫を殺すかしか安心できる道はないと思いつめた後、別の牧師に相談をして「なぜ離婚をしないのか?」と聞かれた時に、【自分のために、良いクリスチャンであろうとしているだけ】だったことに気がつき、離婚をしました。
それ以来、教会には行っていません。
 
今でも、「お客さんを20名送ってくださいと祈ったら、すぐに送ってくださった」とか、祈ればすぐ聞かれることが証しのように言っているのを見ると、心の中でしらけている自分がいます。「イエス様だって、最終的にはこの世的に見たら負け組じゃないか!」と思ったり、「あの人の祈りが聞かれて私の祈りが聞かれないのは、私が教会にも行かず神様に嫌われてるからだ」などと思ったり。
 
でも、この番組の説教で、「神から見捨てられたところにおられるイエスに近づく」ということを聞いて、少し気持ちが軽くなったような気がします。
どんな過去があろうと、何を言われようと、今がどんなに苦しかろうと、『十字架につけられたままのかたの他は何も知らないことに決心』すればいいんだとわかりました。
 
いくつかの教会が、「勝ち組」の結果のみを証しのように扱っていることや、「負け組」「マイノリティ」をかわいそうな人たちに仕立て上げ、勝ち組が教えてあげるような集まりになっていることは事実だと思います。
 
ですが、そんなことは気に留めずに、十字架上で「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と、私のために叫んでくださったかただけを仰いで、そしていつの日か教会に連れ戻してくださることを祈りながら日々を過ごしたいと思うことができました。
全ての負け組に、イエス様の支えがありますように。

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