罪に苦しむ

今日の「恵子の郵便ポスト」のお便りは、聖書を読み始め、教会に通い始めて間もないかたからのお便り。
聖書を読むにつれ、ご自分の罪について考えるようになり、「こんな罪を持った人間を神様は赦してくれない」と思うようになり、「とても辛いです」と。
そのお便りに恵子さんは「自分の罪に気づくことは、イエス様の赦しを確かにいただくために一番必要なこと。神様の前に喜ぶべきこと」とお返事しています。

まったくもってその通りだと思います。同時に、ふと思ったのです。
果たして私は、罪に苦しんでいる人に「それは喜ぶべきこと」とまで言えるだろうか?と。
「イエス様は赦してくださるんだから大丈夫」とは言えても、なかなかそこまでは言えないのではないだろうか?

そもそも、自分の罪に苦しむなんて、避けて通りたいことです。
でも、それが喜ばしいことで、イエス様の赦しをいただくために一番必要なことだと・・・。

恵子さんの言うとおり、イエス様と共に十字架で死ななければ、新しい命に生き始めることができないのでしょう。
十字架の死がなければ復活の命もなかったように、罪深さに気づかなければ、このイエス様の赦しの計り知れなさも味わえないのでしょう。
だとすれば、自分の罪に気づくことは、イエス様からの赦しへの招き。喜ばしい恵みです。

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