「改革というのは我々人間がするのではない」

今年2017年は宗教改革500年ということで、FEBCではマルチン・ルター関連の特集をしています。
でも、それは決して過去のことを振り返って、ああ良かった!とか、昔はこんな凄い事件があったんだ、とか
そういう事を学ぶためではないんですよね。

『俺がしなければ改革は起こらないんだ』と一人の人間が思い上がってしまうとするならば、
教会の改革・信仰の改革も、神を中心に据えることから結局は、
中世の教会の、人間を中心に据える在り方に、また違った形で後戻りしてしまうことになってしまうのです。

今回の徳善義和先生の番組中での言葉です。
私は正直、「中世の教会」なんて過去の遺物だとどこかで思っていたんです。
例えば、免罪符を売りつけたりなんて事はもう無いわけですから。
でもそれはあくまで表面的なことであって、問題はもっとその根元にあるのですよね…

いつのまにか人間が中心になり、
主イエスに祈りの内に聴くということを忘れてしまう。
それは決して過去に清算された問題ではありませんでした。
表面的には神さまに従っているようにすら見える状況、
私は大丈夫だろう、と思い上がるようなときにこそ、
より大きな危機が自身に迫っているのかもしれません。
それこそ、中世に逆戻りするかの様な…

改革は500年前にすでに終わったのではなくて、
今まさに、501年目に続こうとしている。
そのことを忘れない様に歩みたいと思います。


マルチン・ルターの生涯と信仰
徳善義和(ルーテル学院大学名誉教授)
毎月第2金曜日更新

第6回「福音主義教会の建設へ」
番組を聴く>>
番組記事を読む>>
番組のご感想をお待ちしています>>