悲しみの心のまま

「ありのままでいい」
そう言われるとなんとなく嬉しいような気分になります。

でも実際にありのまま生きるって、すごく怖いことではないでしょうか。
少なくとも私にとってはそうです。
ありのままの自分って、人にお見せできるような良いものではないからです。

そんな私に、先日リスナーのみーぴーさんがお寄せくださった番組感想は勇気を与えてくれました。
ご紹介させてください。

こんにちは。クリスチャンの主婦です。
私は高校生の時に洗礼をうけたので、クリスチャン生活は長いですが、中学生の時に転校して以来、同世代の人と上手に付き合えなくなってしまいました。何を話していいかわからないのです。私だけ「みんなと違う」気がします。

それ以来、心からリラックスして心を分かち合う人はほとんどいません。余暇はだいたいいつも家で一人で趣味など何かをやっています。けれどさすがにそれは寂しいので、数ヶ月に一回くらいは子供の関係で知り合った友達とランチに行きます。ほんとうはその人と仲良くなりたいんですが、どうやって本音で話していいかわからないし、彼女もあたりさわりのないことしか話しません。本音を言って、嫌われるのが怖いです。

私の通っている教会は、若い世代の人も多いのでとても明るい教会です。
けれど、時にみんな楽しそうにしているのを見ると、私もクリスチャンなので、自分もそうしなくてはいけない気がして疲れる時があります。

私は、クリスチャンというものは、基本平安でいることが多く、基本幸福な心で、主の喜びに満たされて、愛がある人だと思っているからです。もちろん試練の時や、悲しい時もあるのでその時は落ち込むこともあり、涙することも必要ですが、成長したクリスチャンは、その中にあっても品性が整っている人だとおもうからです。

けれど私はその理想とはかけ離れていて、心に寂しさがあり、幸せで楽しそうな人を妬み、人間関係に悩む者です。40代に入ってからは、病気になったらどうしようと悩んだりもします。

番組「マルチンルターの生涯と信仰」を聴かせて頂き、私のそういう悩みがある心の状態でもいいとわかりました。ルターは悲しみの心のまま主のまえに、クリスマスを過ごしたと。
クリスマスに入り、教会で皆が楽しそうにしていても(実際にはそういう人ばかりではなく苦しみの中にいる人もいると思いますが)私はそのままでいい事がわかりました。教会で私は元気そうに、楽しそうに頑張らなくていいんだとわかりました。
ありがとうございました。


こちらこそありがとうございました!

私も、みんながワイワイ楽しそうにしている中に上手く溶け込めなくて、一緒に楽しみたい気持ちもあるけれどそれができなくて疲れてしまい、だからそういう交わりを避けてしまう自分はダメだなと思うこと、よくあります。
でも、そんな私のまま、イエス様の前で過ごしていいんだよって言ってもらえたように感じました。
他の誰も気づかなくてもイエス様は、本当は寂しい、人を妬んでいる、悲しみや悩みを持っている、そういう私を知っていてくださるのですよね。

私たちは、明るく美しく整ったところに救いがあると思い込んで、そういうものを目指しているけれど、
明るく美しいところではなくて、暗くて汚い馬小屋、
みんなから褒められるところではなく、罪人としてつけられた十字架、
神様はそこに、私たちの救いを置いてくださったのですよね。

「悲しみの人にして、悩みを知れり」

これが聖書の伝える救い主の姿で、このおかたのもとに、悲しみ悩むままの私が身をゆだねている。それが本当の「ありのまま」なのかもしれません。
そのまま、このイエス様の前にとどまり続けることができますように。

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