イエスの、ことばの、その根

「『何を食べようか』『何を飲もうか』「何を着ようか』と言って、思い悩むな。」(マタイ福音書6章31節)

主イエスのこの有名な言葉。
でも、むしろこの言葉にこそ思い悩んでしまう人が少なくないように思います。
「そんなこと言われても・・・」とつぶやきたくなってしまう言葉です。

一体イエス様はどういうおつもりでこのようにおっしゃったのでしょうね。

実は、この言葉が書かれているマタイ福音書6章の文章には、驚くべき巧みな構造が潜んでいるのだそうです。
しかも、その構造を分析していくことで、この言葉に込められた主イエスの中心的なメッセージが見えてくるというのです。

でも、そう言われても、言語学者でも聖書学者でもない私たちには、そんなふうに聖書を読み解くのは不可能・・・。

そこで朗報です!
聖書学の第一人者である雨宮慧神父様が、聖書の原語に遡り、そこで用いられている文法表現や文学的手法を解説しながら、そこに込められた主イエスのメッセージに可能な限り近づこうとする番組が、この4月からスタートします。

「イエスの、ことばの、その根➖雨宮神父の福音書講座」
雨宮 慧(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)

でも雨宮神父様のお話って、ちょっと難しくて・・・
というかた、どうぞご安心ください!

番組の後半では、一般信徒を代表してFEBCスタッフの長倉が、神父様が何を伝えようとしているのかに迫ります。
でもこの二人のやり取りって、一体どんな感じなのでしょうね。
ちょっとだけ、初回放送分の対話を覗いてみましょう。

 

とは言え、私たちはいつも思い悩んでいるというのが現実かと・・・

 

そうですね。
では、私たちが一体何を思い悩んでいるのか、聖書を見てみましょう。
ルカ12章に「愚かな金持ちのたとえ」というのがあります。
でもこの金持ちは機敏に行動し、考えを巡らしている。我々の生活に即して言えば「賢い人」です。
一体どこが愚かなのか・・・。
この金持ちの言葉を直訳すると次のようになります。

私はどうしよう。私の作物をしまっておく場所がない…私はこうしよう、私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに私の穀物や私の財産をみなしまい…

「私は、私は…」ということですね。

 

そうなのです。この金持ちは自分のことで頭が一杯ということなのでしょう。
ここで神が「愚かだ」と言っているのは、「神のための場所」を全く用意していないことなのだと…

 

この二人のやり取りもなんだか楽しみですね!

「イエスの、ことばの、その根➖雨宮神父の福音書講座」は4月13日(金)スタート。
毎月第二金曜日放送
です。
同時スタートの雨宮神父様による「旧約聖書のこころ」(再放送・毎週火曜日更新)もぜひあわせてお聴きください。
旧約と新約の両面から、主イエスの言葉のその根源に、ご一緒に近づきましょう。