信仰に疲れた

疲れた時は休むのが一番!
でも、この「休む」っていうのが、案外、難しかったりもするのですよね。
仕事を休めば、その分の仕事の埋め合わせをどこかでしなければならない、という難しさもあると思います。
でもそれだけではなくて、「休むのはいけないこと」というのが、いつも心のどこかにあるような気がするんです。

自分が休んでいる時に一生懸命頑張っている人を見ると、どこか後ろめたさを感じたり、
逆に、自分が必死に頑張っている時に休んでいる人を見ると、裁くような気持ちが湧いてきたり。

信仰も、同じようなところがあるのかもしれません。
「信仰は休んじゃダメ!」と思っているようなところが。
でもイエス様は「わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」とおっしゃっているのですよね。
ということは、信じることは休むこととも言えるのかなあ?と、そんな気がしてきました。

今日は、リスナーのM夫さんからいただいたメールをご紹介します。

最近、信じることに疲れを覚えます。
洗礼を受けて3年、自分なりに頑張ってきたつもりです。
でも、祈るのも、聖書を読むのも、教会に行くのも、もう嫌になってきたというか、疲れてしまったというのが、今の私の本当の気持ちです。
かといって、信仰を捨てても、自分がダメになってしまうとわかっています。
信仰に疲れた。でも信仰を捨てることもできない。
どうしたらいいのでしょう。

今のM夫さんの本当の気持ち、こうしてお寄せくださってありがとうございます。
3年、M夫さんなりに頑張ってきて、もう疲れた。
そう感じていらっしゃるのですね。

以前に、たぶん小林和夫先生だったと思うのですけど、番組の中でこんなふうにおっしゃってたんです。
「イエス様を信じるっていうのは、イエス様の上にゴロンと大の字になることです。」

私たちは、勉強や仕事みたいに、信仰のことも、
ちゃんと信じなきゃ!自分の信仰をしっかり持たなきゃ!
と頑張っちゃうのかもしれませんね。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」マタイ11章29節

グラグラ揺れる自分の信仰の上に必死に立とうとしている私たちに
「わたしの上にゴロンとなってごらん」
そうイエス様は言ってくださっているのですよね。

M夫さん、「信仰を捨てたら自分がダメになってしまう」とも書いてくださいました。
でもきっと、イエス様の上にゴロンとなったら、
私たちが信仰を捨てるかどうかはどうでもよくなっちゃうと思うんです。
このイエス様は私を捨てない、
ゴロンとなって、ぴったり重なったイエス様から、それが伝わってくるんだと思います。

だから、信仰を捨てずに頑張るよりも
信仰に疲れたM夫さんを「休ませてあげよう」とおっしゃるイエス様の上にゴロンとなれますように。

皆さまからのお便り、ご感想をお待ちしています>>