聖書が語る幸福とは…?

雨宮神父が、原語にさかのぼって主イエスの言葉を解き明かす
「イエスの、ことばの、その根」。

今回のお話の中心にあるのは、この聖書のことば。
「心の貧しい人々は、幸いである」

山上の垂訓で主イエスが語られた有名なみ言葉ですが、
その解釈についての「結び」を聞いた時に
「えーっ?本当にそういう結論なの!?」
と正直思ってしまいました。
そしてこれはやはり、一筋縄ではいかないテーマなのだな…と。

このみ言葉、有名なわりに、その意味合いの受け取り方が
人により大きくバラけている箇所であるのではないでしょうか。

やはりそれは「心の貧しい」という和訳が、
何だか不充分…というところにもあるのだと思われますが、
今回は、原語が持っていた本来の言葉の意味合いを追っていき、
聖書学ではこの主のことばにまつわる事々をどのように考えているのか、
という事を雨宮神父様にお聞きしています。

長倉:「この箇所で繰り返し語られる『幸い』。聖書ではそもそも何を『幸い』と考えているんでしょうか。」

雨宮:「それについては、旧約聖書と新約聖書との間には、大きな違いがあると思います。旧約聖書では、我々と大きなズレはありません。それに対して新約は、『貧しい』とか『悲しむ』とか『飢え渇く』人を「幸い」としている。私は、これをイエスが登場したからこそだと考えています。…」

ここに記された貧しさとは、人間の何を示すのか…?
主イエスはなぜこの様な事を語られたのか…?
聖書が語る幸福とは一体何なのか…?

ぜひお聴きください。
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イエスの、ことばの、その根―雨宮神父の福音書講座
雨宮 慧(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)
聞き手:長倉崇宣
第二回 「心の貧しい人々は、幸いである」➖聖書が語る幸福

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