今回の「旧約聖書のこころ」では、人間の漏らす不平を表す動詞、
「ルーン」についてのお話を聞きました。
紅海を渡りエジプトを脱出したけれども、
荒れ野で飲まず食わずのイスラエルの民。
そんな彼らの不平の声が「ルーン」なのだそうです。
確かにそれは神さまに不従順な姿と言えるのかもしれないですけれども、
状況としては生きるか死ぬかの過酷な状況ですよね。
もしそんな境遇に放り込まれたとして、
不平も言うな!というのは厳しすぎないかなあ…と
私は前々から思っていました。
でも今回、雨宮神父の読み解きを聞いて感じました。
当たり前の事のようですが、
神さまが見ておられたのは民衆の表面的な態度というよりも、
その奥にある、一人ひとりのこころであったのだな、と。
番組後半、併せて読まれた収税人ザアカイのお話。
彼に対する主イエスの前のめりな姿勢を
「罪人の元にまっしぐらに向かわれたイエス」
と雨宮神父は表現しています。
自分の努力では、不平も不満もつぶやきも
到底抑える事ができないと感じます。
でも、主が来てくださったのはまさしく、
荒れ野にさまよう様な、そんな一人ひとりの罪人のこころの中だったのですね!
救いの姿をガラッと変えてくださった
この方のとんでもない御業。
それを前にした時、初めて私の抱える「ルーン」が
別のものに変えられていくように思いました。
なお、FEBCでは皆様とこの番組をもっと深く味わうために、特設ページを公開中です。
ぜひ併せてご覧ください。
旧約聖書のこころ
雨宮 慧(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)
第十回 何を飲んだらいいのかと「不平を言った」~動詞ルーン~(出エジプト15:22~27)