今回の「どこへでも、どこまでも―ルカによる福音書」のメッセージは、
復活を否定するサドカイ派の律法学者が
ある「問い」によって主イエスを試そうとした箇所からです。
「ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。次男、三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。最後にその女も死にました。すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」
しかし、私たち現代の日本人からすると、何とも???な質問ですよね。
そして主イエスのお答えもこのような内容でした。
「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。…死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」
復活した人は、めとったり嫁いだりしない、というのは何となくわかります。
でも、「死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、
主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。」
というのは一体どういう意味なのか…?
私にとって、ここは何度も聞いた馴染みの聖書箇所でした。
それでいてイマイチ、腑に落ちてこなかった主のことば…
でも、井幡先生の今回の解き明かしはどんな説教とも違った視点で、
それでいて、主イエスの御心が今までに無く迫ってくる様だったんです。
ぜひ、みなさまにもこの「新しさ」を
味わっていただきたい!
こころからそう思わされています。
どこへでも、どこまでも―ルカによる福音書
井幡清志(日本基督教団石動教会牧師)
毎週木曜日更新
第146回「アブラハム、イサク、ヤコブ、そしてあなたの神」