「神様の願いに私がどう応えるか」
「恵子の郵便ポスト」を聴いていて、恵子さんのこの意外な言葉に、思わず背筋がピンと伸びるような驚きを覚えました。
自分の人生に納得がいかない
祈っても聞かれない
もうあきらめたほうが楽になる
くだらない人生
意味はない
そう訴えるかたからのお便り。
一体どうして神様はこのかたの願いを聞いてくださらないのだろう・・・と、祈っても聞かれない理由探しをしたくなってしまうのですが、恵子さんのお返事に、視点が180度ひっくり返されました。
神様が私の願いを聞くという視点から
神様の願いに私が応えるという視点に。
私たちは神様から命をいただいている、
その命は、神様が願いをもって与えてくださった命、
その神様の願いに私がどう応えるかが信仰・・・
神様の願いに応えるなんて恐れ多いように思います。
でもこの神様は、どこまでも私たちを愛しておられるおかた。
その愛に応えることを、神様が私に求めておられる・・・
この小さな、無意味にすら思える人生に、神様が込められた願いの深さに、驚きを覚えずにはおれません。