今回の「霊性の源流を訪ねて」は、「アレキサンドリアのオリゲネス―聖書のすばらしさ」と題してのお話です。
ところが、冒頭で関川先生が読んでくださったオリゲネスの文章の中にはこんな言葉が!
「聖書の粗末な言葉」
え?聞き間違い?
ではなく、確かにオリゲネスはそう語っているのです。
聖書は「粗末な言葉」という器だと。
その器の内に宝が隠されていると。
ここですかさず恵子さんから質問が!
「その宝を探り当てるコツはあるんですか?」
まさに私もそのコツが知りたい!と思ったのですが・・・
関川先生のお答えは
「ないんです。」
うっっっ。
そう言われてしまうと、じゃあ一体どうやって聖書を読んだらいいの?と思ってしまいます。
でも、関川先生のお話を聴いていくうちに、聖書を読むって、本当はとても単純なことなんじゃないかと思えてきました。
「聖書に書かれている言葉」という器をひっくり返し続けて、宝を掘り出そうとしているけれど、
そんなことはしなくていいのだと。
じゃあどうすれば?と問いたくなるのですけど、
いや、どうもしなくていいのだと。
この宝は、掘り出すんじゃなくて、与えられるのだから。
与えられた時に初めて、宝が宝であると知るのだから。
霊性の源流を訪ねて―古代教父との対話―(再)
関川泰寛(東京神学大学教授、日本基督教団大森めぐみ教会牧師)
毎週月曜更新
「アレキサンドリアのオリゲネス―聖書のすばらしさ」