「『あんたは、それでもクリスチャンか?』
なんて言われるって話も聴きますが、それでいいんですよ。」
教団久万教会の小島誠志先生が、今週の礼拝説教で語られていた言葉です。
実は、自分自身の体験として、似たような言葉を知り合いに言われたことがあるので
すごく印象に残りました。
「それでもクリスチャンなの?」
実際言われると、とても虚を突かれたような思いになるんですが、
みなさんには、そんな経験ありますか?
もちろん、こんな事を言われるには…色んな状況があると思います。
でも自分が、こうありたいと願うクリスチャンの姿と
実際の有様のギャップがそこであらわにされるようで、
結構動揺してしまったんですよね…
今回の説教題は「もう奴隷ではない」というタイトルでした。
罪の奴隷、苦しみからの解放。
色んな受け取るべきメッセージがそこには満ちています。
でも、何より今まで見えていなかったのは、
自分こそが自分を縛り付けている、という姿だった様に思います。
「別に立派だからクリスチャンじゃないんです。
罪人だからキリストに寄りすがるしか無い。
そういう人間としてわたしら生きてるんですよね。」
本当にその通りです…アーメン。
「それでもクリスチャンなの?」
いつかまた、そう問われたならば、
「こんなだからクリスチャンだ、イエスが必要なんだ。」
次こそは、そう応えていけそうです。
日曜礼拝番組 全地よ主をほめたたえよ
日本基督教団久万教会
説教:小島誠志
毎月第三日曜日更新
「もう奴隷ではない」