押さえつけていないで

イエス様のみことばには、
時々とてもドライに、厳しく響くものがあります。

普段はそれを、むしろ自分が甘い考えを持っているからだろうと
最初から押さえつけてしまって、それほど深く考えもしない事が多かったのですが
今回、岩島神父の説教朗読を聞いて、
それは一つの逃げだったなあ…と思わされました。

今回の説教のタイトルは「執着と離脱」聖書箇所は、ルカによる福音書20章です。

イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。…」

神父様はここについて、こう語られるんですね。

「かねてからこの言葉に同感と共に、ある種の違和感を持っていました。親子、夫婦、家族の絆。人がこの世で何よりも大切にしているものを、永遠の生命においてあっさり切り捨てているように響くからです。」

ああ!そうなんです!自分もそんな事考えてたんです!って。
思わず声に出しそうになりそうでした。
それは、まさしく自分が押さえつけ続けてきた箇所だったのです。

しかも、自分が思っていたものよりも
何倍も豊かな福音がそこにあった事を、聴き終わったあとに気づかされて…。

自分の思いや考えを隠さず、
立ち止まって、主に問う。問い続ける。
今回、その大切さを何より示されました。


iwashima朗読・岩島忠彦説教選 「みことばを生きる」
岩島忠彦(カトリック・イエズス会司祭、上智大学神学部名誉教授)
毎週月曜日更新
「執着と離脱」(ルカによる福音書20章27〜38節)

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