教会って・・・

教会って一体何なんだろう?

時々、そう問わずにおれなくなることがあります。
そういう時は大抵、「教会」が人を測る物差しになっているように感じる時です。
「教会に行っているか」「教会で人間関係を上手くやっているか」「教会でちゃんとしているか」・・・

そもそも私たちは日頃から、いろんなもので人や自分を測っている気がします。
できるかできないか、持ってるか持ってないか、上手いか下手か・・・などなど。
その日頃の習慣(?)を、教会でもやってしまう・・・そうすると、教会って一体何なんだかわからなくなってくる・・・。

でも、聖書は全然違うことを言っているのですよね。
教会はキリストの体で、私たちはその体の一部だと。

教会がキリストの体だと信じられなくなる時があります。
でも、これは本当のことなんだと、リスナーのお便りから教えられました。
Tさんのお便りです。

いつも温かい放送をありがとうございます。
私一人だけ、病気のために教会へ行けないと思っておりましたら、私一人だけでなかったことを知り、びっくりしました。
FEBCは私たち病者のためにもあるのだと思い、尊いお働きに頭が下がります。
 
昔、牧師から「教会へ来るな!」と言われたことがあります。
その時は本当に辛かったです。
辛い時期を経て、神が共にいてくださることを本当に感謝だと思いました。
神は決して見捨てたりはしないと思いました。
 
今はFEBCを聴き、私に合った教会を与えられることを思いつつも、今も仏教に従っている身の上です。
本当に不信仰な者と等しいと思います。
誰も家を守る人がいないので、たまたま白羽の矢が立ったわけです。
身内の人たちのために仏教を守っていますが、キリストを敬うようにしています。
仏教にいてキリストを仰ぐも、主の恵みです。
 
教会は、病者、異教の人、弱っている人を、受け入れていけるように祈っております。

Tさんのお便りをお読みして、私もびっくりしました。
これが教会なんだ・・・と。
キリストの体の自由さ、豊かさを見せていただいた思いです。

ご病気で教会に行けないことは本当にお辛いし孤独だと思います。
どうかTさんに合った教会が与えられますようにと私も祈ります。

でも同時に、もうTさんのところに教会は来ているじゃないか!
今、いろいろな理由で教会に行けず、FEBCをお聴きの方々のところに教会はあるじゃないか!って、
Tさんのお便りをお読みして気づかされたんです。

たぶんTさんの家は代々、仏教の信仰を受け継いできて、
誰かが仏壇やお墓などを引き受けて守っていかなければならなくて、
今はTさんがそれを担っているということなのだと思います。

そのTさんのところに、教会は広がってきている・・・
教会って本当に生きていて、病とか異教とか弱さとか、私たちが障害だと思うものを超えて
豊かに伸び広がっていく・・・これがキリストの体の恵みなのですね!
たとえ牧師が「教会に来るな」と言っても、キリストの体はTさんのところに来ている!

「この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。 」
(エペソ人への手紙1章23節)

「すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちている」って、なんだかわかるようなわからないような言葉だけれど、もうそのくらいキリストの体は、壁なんてどこにも見当たらなくて、すべての人に開かれていて、すべての人のところまで広がっていくものなのだと思います。

それなのに私たち人間が、強さとか立派さとか自分の信仰という壁を天高く積み上げて、
その壁で囲われた場所だけを「教会」としてしまっているのかもしれません。
そして自分もその壁の外に出られなくなっている・・・

だからこそ、この隔ての壁を取り除いて、私たちをひとつの体、神の家族にしてくださるキリストに、助けを求めたいと思います。

「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き…そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。 」
(エペソ人への手紙2章14、19節)

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