「もう信仰は捨てようと思いました」

恵子の郵便ポスト。
今回は女性のリスナーの方からのお手紙をお読みしています。

「私は1981年のクリスマスに受洗し、今日まで求めつつ歩んで来ました。しかし、この10年色々なことがあって今まで信じて来たものが崩れ去り、もう信仰は捨てようと思いました。でも、不思議なこともあり、捨てることはできず、もう一度イエス様を身近に感じたいし、共に歩んでくださる方だということを経験したいと願うようになっています。…キリスト教の信仰を持つことはこんなにも難しいのでしょうか?私は、本物の信仰をこの世を去るまでに与えていただきたいのです。… 」

「もう信仰は捨てようと思いました」

…とても重い言葉です。
この10年色々な事があって…とお手紙に記されていましたが、
その道のりの厳しさ、苦しさを思わずにはいられませんでした。

決して簡単な、安易な考えなどでは無く…
現実に起きてくる辛い出来事を前にして、「信仰」など何の役にも立たなかった。
そのような絶望、悲しみの叫びがそこに響いています。

しかし、同時にまた、この様にもお書きくださっているのですね。

「でも、不思議なこともあり、捨てることはできず、もう一度イエス様を身近に感じたいし、
共に歩んでくださる方だということを経験したいと願うようになっています。」

まさしく、不思議なことです。
もうこんなものは捨てよう…と嘆くこころの中に、
一体なぜこんな想いが同時に湧き上がってくるのでしょうか?

まだ残っていた熱心?
良心の咎め?
それとも、自分の生き方を見つめ直す深い思考?
…そういったものではなさそうです。

番組の中、恵子さんはこう話されていました。

「私はね、イエス様の事を、昨日よりも今日もっと知りたいと思うのですけれども、本当に分かってない。ですけれども。私はわかっていないけれども…!」

そこにあるものは、私達の行いではない、
とても大切な「何か」。

恵子さんのお返事の続き、
ぜひ聴いてみてください。


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