「本当に、この人は神の子だった」

いよいよ最終回を迎える「イエスの、ことばの、その根―雨宮神父の福音書講座」。
今回はマルコによる福音書の、十字架の記事からお話がはじまります。

昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。
(マルコ15:33〜39)

雨宮神父はこの聖書箇所について、
何故、百人隊長は「本当に、この人は神の子だった」と告白したのか?
という事を考えるべきです、と語られていました。

言われてみれば、確かに不思議ですよね。

「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」
そんな絶望のことばを吐いて、なすすべなく無力に死なれた姿を見て、
どうして、イエスが神の子だと確信するに至るのか…???

でも、そんな奇妙なマルコ福音書の記述にこそ、
私達の生き方、歩みを考えるにおいて必要不可欠な
「言葉にすることが出来ない深み」
があるのだと神父様は語られます…

私達はこの十字架の光景から、
何を受け取るべきなのか。

ぜひ、こころを研ぎすませて聴きたいと思います。


イエスの、ことばの、その根
―雨宮神父の福音書講座

雨宮 慧(カトリック・東京教区司祭、上智大学神学部名誉教授)
毎月第2金曜更新
「最終回・『本当に、この人は神の子だった』ー言葉を超えたイエスの死の深み」

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