主に立ち帰るためには

今回の恵子の郵便ポスト。
聖書通信講座を受けておられる男性がお便りをくださいました。
ヨハネによる福音書18章に描かれる、
主イエスを裏切るユダとペトロの姿からです。

…私もずる賢い者です。私も神様に立ち帰りたいです。でも、私は神様に立ち帰るよりもこの世の快楽に固執してしまうものです。主イエスの十字架に連なるものになりたいです。

本当は、何が正しいことか、何をすべきか、
気づいているんです。
ユダも裏切りの後で、大変に後悔をしました。
三度否んだペトロも大泣きをしました。

私達も主に従いたい、そう思いつつも、
しかし、目先の快楽や安心に却って固執してしまう…
私もこの男性と全く同じだ…と感じました。

このひずみを産む「ずる賢さ」というものは、
自分の心の動きでありつつも、
なんて矛盾に満ちて、捉え難いものかと思います。

一体どうすれば、
主に立ち帰ることができるのでしょう…

お手紙ありがとうございました。イエス様に繋がりたい。神様に帰りたい。
その一番最初の一歩は、自分がずる賢いものと知ること。…そこから始まるんです。

むしろ、私達のゆがみから始まる、その一歩…
恵子さんのお返事、ぜひ共にお聞きください。


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