自己の存在が揺るぐときに

「Per Crucem ad Lucem―十字架を通って光へ―」。
川上直哉先生は、東北大震災での救援活動についてこのように語られていました。

川上 
「時々、腕に覚えのある方がその『現場』に飛び込んできたりするんですけど、うまくいかないですよね、やっぱり。逆に『現場』がその人を呼ぶというか…。ただ神様が、その人にその現場をお与えになり、そこで出会われるということなんです。」
長倉
「でも、そう言っても現場に留まるってしんどいじゃないですか?」
川上
「そう、だから現場っていうのは、自分が砕かれ、自分の力が役に立たない場所なんですよね。私は『そこにいるだけ』なんです。」

所詮テレビ越しにしかこの大災害を体験していない私ですが、
津波に襲われ、瓦礫の山になってしまったあの光景は…今でもトラウマです。

なんと人間は脆いのか。
自己の存在が揺るがされるような不安、無力感に
日本中が覆われたのではないでしょうか。

当然、現地の苦しみに及ぶべくもありませんが、
ある意味で、日本全体が
あの時『現場』になったのかもしれないと
今になって思います。

しかし、そんなむき出しにされてしまった人間たち、
無力さ不安におちいり、『そこにいるだけ』の私を、
むしろイエスは、生身のありのままの人間として認め求めておられるという不思議…

今も復興は終わっていません。
そして、人のこころの飢え渇きもまた。

わたしにとっての『現場』とはどこか。
神が出会われるとはどういうことなのか。
番組を聞きながらしっかり思い巡らせたいと願います。


Per Crucem ad Lucem―十字架を通って光へ―
川上直哉(日基教団石巻栄光教会牧師、東北ヘルプ事務局長)
毎週水曜日更新

第2回「ああ、わたしが呼ばれたんだ」

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