キリスト教の「終活」

「キリスト信仰としての『終活講座』」という新しい番組シリーズが始まるという事で、
さきほど「終活」という言葉の意味について改めて調べてみました。
ある辞書では、このような説明がされています。

《「就活」のもじり。「終末活動」の略か》人生の終末を迎えるにあたり、延命治療や介護、葬儀、相続などについての希望をまとめ、準備を整えること。[補説]平成21年(2009)に「週刊朝日」で連載された「現代終活事情」により広く知られるようになった。

いざ自分の人生が終わることを考えると、
いろいろなことを前もって準備しておいたほうが良いはず…
この言葉の定着ぶりを考えると、もはやそれは信仰者に限らない
世間全体の関心事であると言えるでしょう。

ではでは…具体的に
私達キリスト者は何を備えるべきなのか。

死ぬことはどういうこと?
キリスト教における、お葬式の意味は?
どう死者を弔うべきなのか?

毎週いのちについて聖書から聞いているはずなのに、
そういう事を問われると、私は案外戸惑ってしまうというか…みなさんはどうでしょうか?
なんだか「死」というものを考えることを
避けてきたのかもしれないなあと感じます。

しかし番組を聞くとわかるのですが、
教会の共同体は、2000年の歴史の中で「死」を忌避するどころか、むしろ人生において
本当に重要なものとして受け止めつづけているんですよね…
むしろイエスに合わせられるポジティブなものですらある、と捉えるその考えには
これは人間からのものではない…と思わせる底知れぬ力を感じます。

この秋から始まる、FEBC流キリスト教終活講座。
人生をよりよく生き、よりよく死ぬために
主イエスが何を私達に備えてくださっているのか。
ぜひそのことを、ご一緒に聞き取っていきたいと願います。


キリスト信仰としての『終活講座』
第一回「死、それは祝宴の時―カトリック教会の死生観と葬儀理解(再)」
小田武彦(カトリック大阪教区司祭、聖マリアンナ医科大学特任教授)
聞き手:長倉崇宣
10月4日放送
毎月第一金曜日更新


聴取期限10/31(約65分)

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