恩寵の十字架

小林和夫先生による「ガラテヤ書に学ぶ」は今回で最終回。
「恩寵としての十字架」というテーマで語られます。

私たちの信仰の中心である「キリストの十字架」は、全く神の「恩寵」―賜物に他なりません。私たちの努力などに依るものではないのです。

キリスト教といえば十字架。その恩寵、つまり与えられる恵みといえば
「罪赦された」とか「イエスが身代わりになってくださった」そういうイメージであると思います。
もちろんその通りですし、それ以外の何物でもありません。
でも、小林先生はさらにその「恩寵」に一歩踏み込みます。

ところが同時に、この「恩寵」は人に課題を与えるのです。神が与えたものに対して課題を負わされているというのが、聖書の「恩寵観」だと思います。

課題が負わされる事が恩寵???

しかも、先に言及されているとおり、
それは私たちの努力に依るものではない、というのです。

何かしないといけないのか?それともしなくてもいいのか?
無力だけど頑張ることが大切、そういうことなのか?

色々考えてしまいますね…
しかし、聖書の伝えるものはそのどれでもないということを
小林先生は語られています。

十字架の恵み、恩寵。
キリスト教の最も根本にあるはずのものにもかかわらず、
いつも見失ってしまうもの。
改めてこの放送から聞き取っていきたいと思います。


ガラテヤ書に学ぶ
小林和夫(日本ホーリネス教団東京聖書学院教会牧師)
第3・4金曜更新

第10回・最終回「恩寵としての十字架」(ガラテヤ6:1〜18)

聴取期限3/26

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