「わたしの身によって」

今回の「闇の中に輝く『獄中書簡』」では、
パウロの言葉を手がかりに、小林和夫先生が「福音的死生観」というテーマでお話をしてくださいました。

「そこで、わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。」(ピリピ人への手紙1章20節)

この箇所を聖書で読んだ時に、
どんなことを思い浮かべるでしょうか?

私がなんとなく考えていたことは、それだけ信仰というものが大切であり、
それさえあれば、生きている中でも、死ぬときでも、どんな状況であっても、
そこから神の栄光はあらわされるのかな…?とぼんやり。

しかし、先生はそういった読み解きを、抽象的なものと退け、
「わたしの身によって」という箇所に特に着目しています。
なぜこの一見何でも無さそうな部分が最重要なのでしょうか?
しかも、「福音的死生観」というテーマにおいて。

私はもうすでに番組を聞いたのですが、それからすると、
クリスチャンがクリスチャンであるゆえに、福音を聞く上でむしろ見落としがちなポイント
があるためではないかと、強く感じました。

とかく単なる命令や、精神的な書として小さく小さく読み解いてしまいがちなパウロの書簡。
その書の本当の意味する十字架の救いのダイナミックさに立ち戻る歩みを、
小林先生のお話から再び得たいと思います。

なお、いままでの放送を収録した秋の新刊もこのたび10月から発売中。
現在は新刊特価にてご案内しておりますので、
ぜひこの機会にお手に取ってくださいましたら幸いです。

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闇の中に輝く「獄中書簡」(再)
小林和夫(日本ホーリネス教団東京聖書学院教会牧師)
第15回「福音的死生観」(ピリピ1:20〜30)
10月16日放送

聴取期限11/19
(約38分)
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