教会は鳥の巣―聖公会から見る主イエスのコンパッション

コロナウイルス感染拡大を受けての特別番組シリーズ「『時のしるし』を求めて」
今回は日本聖公会中部教区主教、立教大学文学部教授の西原廉太先生にお話を伺っています。

タイトルにもある通り、聖公会の教会は、「鳥の巣」なのです。と語られる西原先生。
でも「鳥の巣」とは一体何を指すのでしょうか…?
その端的な特徴をこうして述べてくださいました。

私が働いております立教大学は、1874年に宣教師ウィリアムズによって建てられたわけですが、彼は教会より先に学校を建てるわけです。また、後には聖路加病院も建てられますが、聖公会の宣教師たちが何故そうしたのかと言えば、それらは決して「伝道のツール」ではないのです。彼らにとってはそれが牧会ということなのです。

私達はどうしても「教会」が信仰生活の中心であり、そこで行われているものこそが牧会であると考えます。
そして、その教勢を増す事こそが伝道だと無意識的に考えているのだと思います。

でも、それだけが教会なのか。
その場所、その場所で神と人とに仕えていく事も同時に重要であるのではないかと
聖公会の伝統から先生はおっしゃいます。

聖公会の教会論はというと「鳥の巣型」です。鳥の巣には、長い枝も短い枝も曲がっている枝もあり、ハンガーやプラスチックも混じっていて見栄えが悪く、均一でもなければ隙間だらけです。しかし、多様な枝が神様の愛で紡がれて一つの鳥の巣を作って、その中で命が育まれる。そして、これこそが私達の教会だというのは、私の神学的確信です。

ウイルスのため、多くの人が思うように教会に通うことの出来ない現在。
この考え方は、より私達にとって重要になってくるように思います。

主イエスのコンパッション(慈悲、深い思いやり)はどこにこそあるのか。
この方はどこにおられるのか。
ぜひ番組を通して、みなさんご一緒にお考えくださいましたら幸いです。


FEBC特別番組「時のしるし」を求めて
西原廉太(日本聖公会中部教区主教、立教大学文学部教授)
聞き手:長倉崇宣

第七回 教会は鳥の巣―聖公会から見る主イエスのコンパッション

(約50分)
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