合理的信仰を突き破る神の嘆き

今回のこの特別番組のタイトル「合理的信仰を突き破る神の嘆き」は、
聖書学者N.T.ライトの著作にある指摘から命名されました。

人は天災に遭うと、天罰や何かの警告といった納得できる理由を求め、往々にして合理的説明に躍起になる。

この文節を引用し、お話くださった左近豊先生は、
そのような「合理的信仰」は事の本質を見誤らせるだけではなく、
時に暴力的に傷をえぐり、「声なき呻き」をかき消す暴挙となりうる、
と語ります。

合理的信仰。あまり聞き慣れない言葉ですけれども、
それは、言い換えるならば、
目の前にある不条理を、どうにか信仰的に説明しようとする試みかもしれません。

「あの時私がこうしたから、こんな目に遭う」
「私に信仰がないから」「神様の方に理由があったから」

普段、因果応報の考え方はキリスト教とは異なるなどとと言いつつも、
意外と私達にこの考え方は染み付いているように思います。

そして「しかたがなかった」「意味のあることだった」
悲惨で理解し難い出来事にも勝手に意味づけしてしまうこと。
ましてそこで自分を、他人を傷つけること。
私にもきっとあるなあ…と感じさせられます。

でも本当にそれがキリスト信仰のあるべき姿なのでしょうか。

左近先生がそこに提示されるのは「共に嘆かれる神」でした。
私達の合理的な神様像からすれば、すべてを計画され、すべてに完璧な、
いまさら嘆かれる理由のどこにも見つからないお方です。

しかし、そのお方が、今共に私達と嘆いていてくださる不思議…
ぜひこの神の愛の謎を、このパンデミックの不条理の只中でこそ、
皆様とご一緒に、先生のお話の中から訪ね求めたいと願います。


FEBC特別番組 「合理的信仰を突き破る神の嘆き」
左近豊(日本基督教団美竹教会牧師、青山学院大学国際政治経済学部教授)


聴取期限2/25
(約60分)

番組のご感想をぜひお寄せください>>