私たちのニューノーマル―主の死と復活を祝う巡礼

コロナウイルス感染拡大を受けての特別番組シリーズ「『時のしるし』を求めて」
今回は、イエズス会司祭、教皇庁立グレゴリアン大学心理学科講師であられる、
酒井陽介神父にお話を伺っています。

 これからの世界が、より良いものになっていく希望は持ちたいと思います。ただ、自粛や規制の後に押し寄せてくるのは、「反動」ではないでしょうか。1年近く、私たちはこの状況の中で「失う痛み」を覚え続けてきました。大切な人を失う、健康を損なう、普段行っていたことが出来ない…そういう痛みを、今まで負の存在として烙印を押してきました。そしてこれから押し寄せる反動は、特にそのように私たちを誘惑すると思います。「もっと楽しいことを」「もっとお金を回そう」と。しかし、教会の礼拝というのは、キリストの死と復活の命を祝うものです。そこに集うのは、信者の務めだからではありません。礼拝は、痛みや苦しみをしっかりと受け止めることから始まるのです。

コロナ後の世界を考える中で、
「どうしたら元に戻るのか?」そういうことばかりを考えていたな…と、
私自身の心の中が見透かされたような気がします。

この災禍で喪われたものは替えの効かないものばかりですが、
キリスト者ですらそこで神に向かわず
何か他のもので埋め合わせようとする、、、私もその一人だと思いました。

困難さのゆえに、キリストの死と復活に立ち戻る。
このようなご指摘は本当に貴重なものだと思います。

 ニューノーマルという言葉もよく聞きます。しかしそれは、単に「三密を避けましょう」とか「マスクを付けましょう」ということではありません。ここで私たちは「巡礼者」であることを思い起こす必要があります。

一体、私達のニューノーマル(新しい生活様式)とすべきはなんでしょうか。
喪失体験を単なる損害と見ず、「反動」にも溺れないための生き方とは。

神父さまの挙げてくださった「巡礼者」というワードから、
私達の未来をご一緒に考えたいと思います。


FEBC特別番組「時のしるし」を求めて
酒井陽介(イエズス会司祭、教皇庁立グレゴリアン大学心理学科講師)
聞き手:長倉崇宣

第九回 私たちのニューノーマル―主の死と復活を祝う巡礼

聴取期限4/8
(約50分)
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