こころの病の根には

今回のコーヒーブレイクインタビューのゲストは、精神科医の濱田秀伯(ひでみち)さん。
先生は、身体と心、そして「霊」の3つの側面で患者さんと向き合う必要があると語られます。
それは果たして、どういう意味なのでしょうか?

濱田氏「私は精神科医になりましてから5、6年目位の時に、『生きている意味が分らないから死にたい』と言う高校生の男の子と出会ったんです。これまでの医学的知識や医学的訓練では対応出来ず、どの様に接したらいいか分らなくて、本当に悩んだんですね。その後、同じような方を何人も経験して、恐らく、精神病の本当の基本は、生きている意味が分らなくなること、自分の存在理由がはっきりしないことが、一番初めの所なのだろうということに気付きました。生きる意味が分らないということは、神との関係が分らなくなる、ということなんですよ。その方は自分の生きる軸が見えなくなった、ということを言ってらっしゃるんです。」

つまり、信仰、霊という観点でしか解きほぐせない問題が病の根っ子にあるという事なのですね。
そして、私は先生のお話を聴いていて思いました。

この世の全ての人が同じ問題を抱えうる、
あるいはすでに抱えているのではないかと…

本来誰もがぶつかる問いであると思うのです。
自分の生きる意味を求める。
普段はむしろ考えないようにしているような「青臭い」事であるかもしれません。
しかし、思春期の若者特有の悩み…というだけでは、決して片づけられないはずですよね。

「生きている意味が分らないから死にたい」
むしろその言葉は、自分の霊的な痛みに鋭く気づくからこその叫びに感じました。

濱田氏「私たちが孤立しているというのは、やはり、この世での人間関係がうまくいっていないということになる訳で、それは本当は垂直の「神との関係」がうまくいかないからこそ、横のこの世の人間関係に過剰に期待したり、反応してしまうということがあるように思います。やはり、個別に神と対話するという形をどこかで作ることが大切だと思うのです。」

決して、他人事ではないのだと思います。

「被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、
つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。」
(ローマの信徒への手紙8章23節)

自分は、こころの病を負っていないかもしれない。
他人との付き合いにも問題はみられないかもしれない。
しかし、そのこころの根元には同じ「うめき」が響いている…

主との繋がりを求めるからこその「うめき」
それをうまくキレイに覆い隠すのではなく、むしろそこに真向かって、
待ち望みの心を頂きたい。そう思わされました。

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