2005年8月20日、27日放送
●小澤竹俊氏●
(医師、横浜甦生病院ホスピス病棟長)
インタビュアー:吉崎恵子
臨終に対する医療の限界を感じ | |
小澤:治そうと思うと、亡くなる患者さんの前にいることは辛いかもしれません。でも、医者として、一人の人間として関われる限界があると思っておりますので。ですから、できれば穏やかな、そして本当の平安が与えられて最期をお迎えできたらいいなと。姿形が別れることはすごく辛いことですが、また違った最期の苦しみを和らげる安寧が得られたなら、それは感謝かなと思っております。 救命救急にいた時は、目の前の患者さんの病気そのものを治してあげたい、そんな気持ちが強かった気がします。目に見える力が欲しかったんですね。ところが臨終に対する医療の限界を感じました。一分一秒でも延命をしようという思いで関わったときに、これでいいんだろうか、もっと、人ひとり、その最期を看取る、本当のところをみつめてみたい、そんな思いがあって。11年ほど前、横浜甦生病院に来ました。 医療過疎地と言われる地域でもだいぶ最先端の医療が受けられる時代になったと思います。ただ、もう生物学的な命を助けることができないとき、その人ときちんと向き合える専門医というのはほとんどいないと考えたら、これ以上の治療がないと言われた患者さん、家族にとっては医療過疎と同じではないかと。 | |
弱さの中に本当の力が | |
一番大切にしているのはその人の言葉です。こちらが一方的に「あれがいい、これがいい」って言う言葉は、実はその人にはほとんど入らないことが多くて。一人一人の生き方、一人一人の支えられ方があるんだなって。その思いをまず丁寧に聴くということが大事だなと思っています。 吉崎:難しいことでしょうね。 小澤:本当に難しいと思います。打ち明けてくれる人の前では良い関係を得やすいんですが、必ずしもそうでない場合も多々あります。本当は生きていたい、でも体がどんどん弱っていく中で、希望と現実の開きがあまりにも大きいと、怒りが現れるんですね。しばしば私たちが怒りの矛先になることがあります。その人の苦しみの大きさの前で何もできないことを経験します。そういう時は本当に部屋に入るのが辛くなりますね。それがホスピスに来て6、7年目くらいに壁として感じた大きな試練だったと思います。 吉崎:それをどのように受け止めて、なお続けることができるようになったんですか。 小澤:痛みを取り除きたいと緩和医療の勉強をしました。また心理学、哲学も勉強したり。ただ、どんなに知識を身につけても、その人の前では何も力になり得ない感じがして。勉強すればするほどその人に向き合えない壁があったんですね。何もできない、そういう大きな壁にぶち当たったときに、ある時ふと、「無力でよい」という思いが与えられたんですね。その時に急に変わったといいますか。 それまでは、力がないとその人の前に臨めないと思ってたんですけども、無力でよいというだけで、なんか楽になれるんですね。どうしても関わることができない、その壁、大きな苦しみの中で、大きなものが見えてくる。一番大きな支え、自分の支えが見えてくるんですね。力があるときは支えはいらないんです。私が学んだ様々なノウハウを駆使して、私があなたの苦しみを和らげましょう、くらいの気持ちでいたんです。でも実際にはそうじゃないわけですね。死を前にした理不尽な苦しみ、なぜ私だけこの歳で死ななければいけないんですかとか、その苦しみの前に、何もできない事実を目の当たりにしたときには、結局自分は弱い人間なんだ、そういう思いがもう否応なく…。 でもその苦しみを通して見えてきたもの、それは、私には支えがある、私が決して一人ではないという確信ですね。これは本当に感謝でした。家族があるから仕事ができるし、スタッフの支えも感じました。また今まで出会い、そしてお別れした患者さん、家族がいます。そして一番支えになったのが、信仰だったと思います。自分の弱さを毎日毎日肌で感じるときに、この弱さの中で、患者さんの前で何もできない小さな自分がその患者さんと向き合える大きな力は、神様の大きな愛があるんだな、たとえ何もできない私でも、「わたしの目には高価で尊い。」そう認めてくれる神様がいる。そう思っています。 そう思うと不思議なんですが、今までは私が上にいて、患者さん、家族が下にいる感じだったんですが、自分の弱さを知ると、とても上に立てないんですね。共に弱い一人の人間として向き合える感じがするんです。そう思うと、それまでは行くのが辛かったのが、力になり得ない私でもそこにいてよいという許しが与えられた感じがするんですね。そうするとその人と最期まで向き合える。それが、上手く言えないですけど、無力の持つ確かな力だと。 吉崎:第二コリントのお言葉そのものですね。 小澤:弱さの中に本当の力がある。それはまさに真実だと。真の強さはすべての問題を解決できるような力ではなくて、人間には解決ができない理不尽な苦しみがたくさんある中で、その運命のもとでは共に弱い私たちでありながら、その問題を、患者さん、家族と最期まで向き合える力じゃないかなと。それは目に見える、解決できる、そういう力ではない。自分の弱さを知り、その弱さゆえに支えられている、そう思えたなら本当の力が得られる感じがして。 中学や高校の授業でよく話をするんです。ある授業が終わった後、誰かが「この仕事をしていて辛くないですか」と質問したんです。すかさず私は「辛いです。でも支えられてますから」と答えたんです。そのやり取りを聞いた高校生がこんな感想文を寄せたんですね。「先生はある一瞬すごく強く見えて、次の瞬間すごく弱く見えた。誰かの支えになろうとしているこの人こそ、一番支えが必要であると感じた」って。 | |
丁寧に無条件に聞く | |
吉崎:本当に苦しんでいる人に何かしてあげられることはあるんですか。 小澤:安易な励ましはかえって辛いかもしれません。苦しんでいる人から見て「わかってもらえた人」になりたいと思っています。普通、医者であれば、検査をしたり、話を聞いて、観察して分析して、この人はこういう苦しみがあるっていうことを理解していこうとしますね。ただ、本当の意味で人の苦しみはわかり得ない気がしてなりません。ですから私が人のことを理解するのではなくて、苦しんでいる人が私のことを見て、「あ、この人は私の辛い気持ちをわかってくれた」と思われる私でありたい。その発想の転換がまず一番大事かなと。そのためには観察ではなくて、丁寧に、無条件に聞くということが一番大事だろうと思っています。 | |
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