2005年11月12日、19日放送
●植木孝子氏●
(日本基督教団荒川教会員)
インタビュアー:吉崎恵子
―「あっこちゃんの日記」(キリスト新聞社)というご本は、(次女の)あっこちゃんが(発病した)三歳から最期までのことをずっと書いていらっしゃって…。 ■急性リンパ性白血病でした。今はかなりの方が完治しますけど、当時はあと数年の命という時代でしたからね。なぜ?って。ただそれだけでしたよね。でもあの頃はあの子が死んじゃうなんてことは考えられなかったですよね。いつか治るんだっていう思いでやってました。 ―ずいぶん幼いときからあっこちゃんは日記を書き始められたんですね。 ■五歳のときから。病院生活が長かったですから、絵を描いたり字を書いたりっていうのが唯一楽しみなものですからね。 亜紀子の教会生活は本当に短いんですね。八ヶ月なんです。たまたま同室のお嬢さんが同じ白血病で、朝晩お祈りしてたんです、親子でね。それで「あっこちゃんも一緒にお祈りしよう」って。それからその方が近くの教会を紹介してくださって通うようになったんです。洗礼受けたのがちょうど23年前です。私も一緒に受けたんです。私はずいぶん迷ったんですけどね。この子と一緒にと思って。彼女の治療する態度が変わりましたね、洗礼受けてから。洗礼受けて二週間目に再発して、もうすごい「痛い痛い」って。でも「神様ついてるから大丈夫」って。治療を受ける態度が変わってきたって受け持ちの医師が言ってました。その頃の日記なんか見ますとね、もう「イエス様、イエス様」でしたよ、本当に。幼い子どもは、とらえられて、素直にパッと入れるんですね。あれはホント驚きでした。 ■最後は骨髄から頭のほうに来てしまって、頭が割れるように痛い。それでのた打ち回るっていう感じでしたね。ああ、いよいよかと思いましたね。治療法はないということなんですよね、どこの先生に伺っても。それからでしたね、神様信じてみようかなと思ったのは。 ―「あっこちゃんの日記」の中で、日記の後が全部祈りになってますでしょ。しかも自分のこと以上に誰かのための祈りがほとんどですよね。 ■そうなんですよね。私といつも朝晩お祈りしてたんですけど、本当にあの子はそういうお祈りでしたよね。私なんかはそこまでは…。 ―だって自分がものすごい苦しいのに「誰かを喜ばせたい」って。 ■最後の入院は亡くなる三ヶ月前ですかね。不思議と思うのはね、お祈りも私とはしなくなったんですよ。日記も、ノートの上に「見ないで」って。かなり自分の心をね…。 ―幼いなりに死と…。 ■向き合ってたんだと思います。臨終の時、私はもう夢中で「イエス様にしがみついていなさい!」って言うしかなかったんですよ。そうしたら彼女が「イエス様、連れてって」って。私はその時に初めて神様の栄光を見ることができた。私はそこから信仰が始まったんです。ああ、これからなんとかやっていける、あっこが残してくれたのはこれだ!と思ったんです。本当に良い子を授けていただきました。 ■夫はね、22年、亜紀子のことに関わって出版し、映画ができて、講演をし…。その中で、「自分がやろうと思ってやってきたことなんだけど、いつも神様に備えられていたような気がする」って最近言うようになったんですよ。嬉しくて嬉しくて。 ■いろんなことがあったんですよ。息子や娘もちょうど年頃の時に母親が家にいなかったので。後から後から困難が…。でも最近思うことは、恵みになって戻ってくるっていうことなんですよ。これが恵みか!と。つい最近ですけどね、こういうふうに感じられるようになったのは。神様は時を与えてくれるんだなって。これはつくづく思いますね。「試練と共に逃れる道も与えてくださる」(1コリント10章13節)って、この言葉を信じてやってきましたから。 ■いろんな人があっこの日記を見て、「すごいいい子ね」って言われますけど、親の私にとっては普通の子だと思ってるんですよ。ただ、神様を知った。本当にイエス様と一緒、いつも一緒。そういう感じの子でした。 ―まず一番身近なお母さんに素晴らしい伝道をしてくださったんですね。 ■そうなんです! ―今はイエス様の懐の中にいらして。 ■もう本当に安心です。 ―そしてこの地上の生を終えられたら…。 ■会える!なんか最近、楽しみになってきた(笑)。 | |
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