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 「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ…」(マタイ1章1〜6節)

 マタイ1章1〜16節には名前がずらずらと出てきます。

 私はある時こんなことを思ったんです。私たち人間にとって、過去の日々とこれからやって来る日々と、どちらがより大きな問題なんだろうか。

 私たちは、過ぎ去った過去が自分の今に暗い影を落とすということがあります。またときに、いったいこれから自分はどうなっていくんだろうかという不安を覚えます。しかし、いずれにしてもそれは同じ問いを私たちに投げかけているのだと思うのです。過去、現在、未来へと向かって歩んでいくこの自分の命が本当に生きるに値する命であるのか。こういう問いを私たちは常に心の奥底に持ち、生きているのだと思います。

 なぜ今こういうことをお話するかと申しますと、マタイによる福音書の一番はじめのところと、この私たちの問題がとても強くかかわっているからなんです。

 最初にアブラハムの名前が出てきました。この人は神様から「あなたを祝福の基とする」という約束をいただき、一念発起して神様の命じられるままに旅立ったんです。彼は信仰の父とも言われます。けれども彼の生涯も決して信仰者として平穏ではなかったということは聖書を読めば分かります。

 そして続くイサク、ヤコブ、それからヤコブの兄であるエサウ、彼らの家庭がどれほど錯綜した家族関係を作っていったか、そのことが聖書にはしっかりと書かれているんですね。実の親子4人の家族の中で憎み合い、欺き合う。そういったことがその後出てくる名前を通しても言えるんですね。

 6節にはダビデ王の名前が出てきます。ダビデはイスラエルが最も栄えたときの王でした。けれど「ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ」。こういうふうに書いてあるんです。ウリヤはダビデの家臣です。家臣の妻をダビデは奪った。栄光の名前であるはずのダビデですけれども、こうしてマタイによる福音書の書き方を見ますと、彼が聖書の中で厳しく戒められている罪を明確に犯した王であるということがはっきりと分かるんですね。

 マタイによる福音書は、イエス様をお迎えするに至る自分たちの歩みはいったい何か、そういう問いを自らに課しています。そして彼(マタイ)はその中に、破れと罪の繰り返される歴史を見たんです。しかし彼の結論はそこにはありません。いかにして神様はこの民を救おうとされるか。彼の心はそこへと向かって進んでいるように思います。
 

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2002年4月10日放送
第1回「破れの連鎖」
(マタイ1章1〜6節)