あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。 (マタイによる福音書18章12〜14節) | |
■イエス様と差し向いで聞かなければ■ | |
また私たちは御言葉を聞くとき、神様とはこういうお方だとか、神様はこう言っておられるんだと、客観的に聞くということが多いのではないでしょうか。しかし、イエス様と差し向かいで、今イエス様はこの私にだけ向けてこのことを語っておられる。この私に向かってのイエス様の呼びかけ、神様の叫びとして聞かなければ聞き取れない響きがあるのです。私たちは、神様とはこういうお方ですよという説明を聖書から聞くのではないのです。 | |
■理屈に合わない羊飼い■ | |
皆さんはこのイエス様のお言葉を聞いて、「そうそう、確かに捜しに行く」と思われますか?この話をまともに読みますと、ちょっと考え込みたくなるところではないかと思います。 この羊飼いは、いったん九十九匹を安全な囲いの中に連れ帰るのではなくて、山に残すんです。九十九匹を危険にさらすということであります。「あなたがたはどう思うか」とイエス様に言われたときに、それでいいのかなと迷いますね。一人を大事にするということは良いことです。しかしもしそのことによって他に犠牲が及ぶとしたら、これとは違う決断をする場合もあるでしょう。 九十九対一。これを天秤にかければ九十九の方が重いに決まっている。このたとえは、常識的に考えれば理屈に合っていません。イエス様は九十九匹を山に残す羊飼いだとおっしゃっている。そこには何のためらいも迷いもないんです。理屈に合わない羊飼いです。そんなバカなことをするはずがない。そのバカなことをこの羊飼いはする。イエス様はそうおっしゃっているんです。なぜ羊飼いはそのように行動するんでしょうか。 | |
■九十九対一という価値をひっくり返してでも■ | |
イエス様は神様の性質や価値観を説明しておられるのではありません。「わたしはあなたに対してこのように行動する。」そう語っていらっしゃる。神様は、あなたがもし失われるならば、捜して捜して必ず見つけ出す。そのためには九十九匹は躊躇なくおいていくのだとおっしゃっているのです。常識ではありえないこと。それをこの方はなさる。この私を愛するために、九十九対一というその価値をひっくり返してでも行動して下さる。これが神様の愛なのです。神様のこの私に対する集中ということをイエス様はおっしゃっているんです。あなたを救うために、犠牲の大きさなど神様はまったく問題になさらない。イエス様は神様の愛をこのお言葉を通して語って下さっているんです。 そしてご自身、身をもってこの神様の愛を生きて下さいました。十字架にかかり命を捨てられた。それこそまさにこのことではないでしょうか。「あなたが生きるために、わたしは犠牲を惜しまない。それがどれほど大きな犠牲であっても、わたしはためらわずあなたを選ぶ。あなたが見つかることこそわたしの願いだ。だからわたしは出て行って捜し、命を捨てるのだ。」これが神様の心であります。神様はそのようにしてあなたに百パーセント集中して下さった。その神様の愛をあなたは受けている。神様はイエス様のお姿を通して私たちに叫んで下さっています。 私たちはこの自分が大事だという思いに必ずしもいつも立てない。しかしたとえ私がこの自分を重んじることができないことがあったとしても、神様はそうではない。イエス様はおっしゃいました。「これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」この御声を毎日毎日思い起こして生きていきたいと思います。 | |
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2004年4月21日放送
●第107回「神様の心の叫びが聞こえてくる」●
(マタイ18章12〜14節)