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旧約聖書のこころー詩編 雨宮 慧

 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」(マタイによる福音書7章21〜23節)

 「あなたのことは知らない」とイエス様から言われる人がある。このように言われますと、自分はどうかと不安になります。しかも「天の父の御心を行う者だけが入る」とおっしゃいました。ますます心配になりますね。自分は神様の御心を行ってはいないんじゃないかと考えるんですね。

 さらに、御名によって預言をする、悪霊を追い出す、奇跡をなす、そういう素晴らしい働きをたくさんしたから天の国に入れるのかと思ったら、イエス様は「あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ」とおっしゃると言うんです。

 一体どういうことだろうかと思いますね。私たちが理解している御心を行うことの中身と、イエス様が御心を行うとおっしゃる中身が、どうも違うようですね。イエス様は「天の父の御心を行う」とおっしゃった時に、どんな信仰の姿を考えていらっしゃるんでしょうか。

 マタイ19章に金持ちの青年の話が出てきます。イエス様に一人の金持ちの青年が、「永遠の命を得るためにはどんな良いことをすればいいですか?」と尋ねたんです。

 この人は幼い頃から神様の教えを守ってきたという自覚を持っている人なんです。ところがイエス様はその人にこうおっしゃいました。「もし完全になりたいのなら、持っているものを全部売り払って貧しい人に施し、そしてわたしに従ってきなさい。」この青年は悲しい顔をして立ち去ったと書いてあります。

 この青年はおそらくもっと気の利いた答え、今まで自分がしてきたよりももっと立派な何かをすれば天の国に入れる、そういう答えを期待していたんじゃないかと思います。でもイエス様は「ただわたしについて来なさい」と、それだけをおっしゃったんです。

 「他に何にもいらないよ。自分の持っているもの、自分の能力や経験や蓄え、そういうものは全然いらない。ただわたしに従ってきなさい。そのことがあなたを神様の救いに結びつけるのだよ」とおっしゃったのです。このイエス様のお答えの中に、神様の御心とは何かということが示されているのだと思います。

 イエス様がお生まれになったのは馬小屋でした。なぜでしょうか。他に場所がなかったからです。救い主を万全の体勢で迎え入れる場所がなかった。つまり神の子を迎え入れようとそれにふさわしい用意をしてお迎えしたのではなかったということですね。良い業をたくさんして、「神様、さあ来て下さい。私たちは成すべきことをちゃんとしましたよ。」そう言って救い主をお迎えしたのではなかったということです。神は救い主を迎える用意が何にもないところに御子を送って下さったということです。なぜでしょうか。

 それは私たちと共に歩むためです。救いにふさわしいものは何一つない、何の準備もない私たち。しかし神様はそういう私たちと共に歩むためにイエス様を送って下さった。

 私たちは、天の父の御心を行うとは、何か神様にふさわしい正しい行いをする、そんなふうに思ってきたかもしれないけれども、実は、私ども人間に何らそれに値するものがなくても、神様はこの私たちと共に生きるために来て下さった。そこに神様の御心があるのです。

 イエス様の十字架は、神様がそこまでして私たちに歩み寄って下さってもなおその神様を受け入れない、人間のかたくなさがはっきりと現れている出来事でした。でもイエス様はその十字架の上で死なれたのです。なぜでしょうか。

 イエス様は今日の箇所で「かの日には」という言い方をなさっていますね。一人一人が神様の前に呼び出され、「あなたはわたしにふさわしいか」ということを問われる日です。

 私たちは「神様、私は大丈夫でしょ」と言えるものが自分の中にあるでしょうか。そりゃ多少の自信や自負があるでしょう。でも神様の前で「私は間違いない」と言えるでしょうか。

 しかしその時私たちの傍らに、十字架にかかられたイエス様がいて下さるというんです。そしておっしゃいます。「この者は神の国にふさわしい。」私たちは「私はとてもとてもふさわしくありません。」そう思います。でもその時イエス様が「いや、そのことに対する償いは、もうわたしがした。だからあなたはふさわしい者になっている。」そうおっしゃって下さるんです。そのためにイエス様は十字架にかかられました。そこに神様の御心がはっきりと現れているんです。

 神様はこの私の姿を全部ご覧になって、つまりそこにどんなに破れ、欠けがあるかをご覧になって、そのことに対する償いを御子の命をもって果たし、私たちを受け入れる用意をして下さったんです。どんなことをしてでも私たちを救いたい、そのお心がここにあるんですね。

 御心を行うということは、自分はあれをしたこれをしたと良い業を盾につっぱることじゃありません。神様は必要なことは全部果たされて、手を広げて待っておられます。その神様の懐に自らの身をゆだねることですね。そこに御心を行う者としての歩みが始まるのですね。

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2003年4月9日放送
第53回「御心を正しく知らなければ、従い得ない」
(マタイ7章21〜23節)