インターネットラジオ
TOP・番組FEBCとはCD Shop聖書通信講座メール教会紹介月刊誌リンク
番組表番組の聴き方
恵子の郵便ポスト 吉崎恵子
主イエス・キリスト 岩島忠彦氏
主の祈りー主イエスと歩む旅 平野克己氏
主よ、あなたが歩かれる道ならば 井幡清志氏
あなたに話したい 晴佐久昌英氏
ひとりを捜す神 広田叔弘氏
信仰のないわたしを 横野朝彦氏
旧約聖書のこころー詩編 雨宮 慧

番組ページへ戻る

2005年4月1日放送
第1回「主イエス・キリスト」

■私にとってのイエス・キリスト


 この番組のタイトルは「主イエス・キリスト」です。この「主」という言葉をつけるということが、この番組の性格を非常に強く表すだろうと思うのです。イエス・キリストっていう方は、単に客観的な一存在ではなくて、皆さんにとっても、私自身にとっても、まずは主である方なわけです。

 私がキリスト教に出会ったのはミッションスクールに通い出してからです。最初は自分と関係ない絵空事のように思っていたわけですけれども、徐々に自分にとってかけがえのない方となっていき、高校一年になって洗礼を受けたわけです。そのうちに自分の内なるキリスト、そのキリストとの交わりが、だんだん深まっていったように思います。洗礼を受ける時に、このキリストととことん付き合うぞというかなり固い決心のようなものが自分の中にあったと思うんです。その後、イエズス会という修道会に入って、四十年以上この道を歩んできました。

 「私にとっての主キリスト」そういうものはそれぞれの信者にあると思うんですね。新約聖書においてもキリストを「主」と呼ぶ時、まずあるのは限りない敬意です。しかしそれだけではなくて、「主」という言葉は、「主人」、そしてそれに対応する「僕」という関係概念なわけで、親しさ、交わり、強い絆といったようなものがそこに同時に現れてきます。こうした中に、イエス・キリストに礼拝を捧げるという思いが現れていると同時に、自分にとってかけがえのない方であるという思いが込められています。
 

史的イエス探求の限界


 私の問題提起の最も根にあるのは、史的イエスの問題と、史的イエス探求の限界といった事柄なんです。私自身、長年、キリスト論を大学で講義してきました。その出発点は史的イエスに置く以外ないとずっと考えてきました。しかしそれでは肝心なものが抜け落ちてしまうことを、特に最近、痛感し始めました。

 史的イエスの問題とはどういうことなのか。すべての発端は一七七八年にライマルスの『イエスの目的と彼の弟子たちの目的』という書が出版されたことにあります。

 イエスは政治的な革命家であった。そして失敗して殺された後、彼の弟子たちが遺体を盗んで、復活信仰、再臨信仰というものを作り出したというわけです。

 この本は「初めてのイエス伝」と呼ばれます。それまでは福音書以外にイエス伝を書く必要はないと思われていたわけです。つまり福音書に示されているイエスは信仰によって着色されているキリスト像であるという疑いが持たれ出したということです。その裏にある実際のイエスを求める営みが、史的イエスの探求なんですね。

 聖書学はライマルス以降、その中心的な課題はこの史的イエスの探求にあったんです。「新約聖書が提示するキリスト像は信用ならない。別の、つまり歴史学的方法で得られたイエスというものがあるはずだ。」こうした史的イエス探究の学問的な方法論自体は正統です。ただしその方法で得られるイエスが、私たちの「主イエス・キリスト」であるとは到底言えないように思うんです。

 二十世紀前半、史的イエス問題についても大きな影響を与えた聖書学者ブルトマンは、「歴史のイエス」と「ケリュグマのキリスト」を完全に区別します。ケリュグマのキリストというのは新約聖書が提示している信仰の中のキリストです。彼の結論からすれば、ケリュグマのキリストの後ろに歴史のキリストがあるという保証はないわけです。にもかかわらずブルトマンは言うわけです。「私自身の信仰にとっては、ケリュグマのキリストで十分である。」

 ここで彼の解釈学についても触れておく必要があると思うんです。それは、単に聖書を客観的に分析することによって御言葉の解釈が得られるのではなくて、御言葉と、それを聞く者との間の循環関係によって解釈が成り立つという考え方です。

 人間は生きている限り、その現場−実存的な環境から問いを発します。これに対して御言葉は、その人に何らかの神の語りかけをする。するとその語りかけを受けた人間は、それによって自分の実存が照らされる。そうするとその新たに照らされた自分の存在から、新しいレベルでまた御言葉への問いかけが発せられる。そうすると御言葉は、同じ御言葉であっても新しい次元でもう一度その人に答える。こういう形で御言葉を聞く者と御言葉との間の循環的解釈が成立するということです。

 こうした循環論的な解釈学では、御言葉が何を語るかということは重要でない、その御言葉が語りかけることそのものが大切なんだという言い方をブルトマンはするんです。わかりやすく言えば、聖書によって神様が一人ひとりに語りかけることそのものが大切であると。それこそ御言葉の出来事になるのだというわけです。

 私はこのようなブルトマンの御言葉の神学については納得するんですけども、歴史のイエスはなくてもいい、ケリュグマのキリストで十分であるというのは、非常に不安定な感じがするんです。ただこのごろ、このブルトマンの気持ちが分かるような気がしてきたんです。ブルトマンは聖書学者として、史的イエスは得られないという結論に達した。しかし信仰者としては、ケリュグマのキリストがすごく大切だと感じた。つまり教会の信仰が伝えてきた主キリストというものは、史的イエスの方法論では到底到達できないということを、ブルトマンは自分の神学全体で訴えているような気がするんですね。いわばケリュグマのキリストというものの大きさを、決して史的イエスの問題に縮小してしまうことがないように、彼はこうした御言葉の神学を展開したんではないかと思うんです。
 

■本当のイエス・キリスト


 この番組では、最近の、史的イエスという道からイエス像を作り上げるという傾向を、補足するというか、矯正する意図で考えたいんです。それは、もう少し視野を広げるということです。そのことをもって、本当のイエス・キリスト、本物のキリストのアイデンティティーというものをもう少し公平に獲得することができるのではないかと思うんですね。

 もっと広い視野というのは、キリスト研究を生前のイエスに限らないということなんです。多くの最近のイエスに関する著作は十字架上の死で終わっているわけです。ケリュグマの中心である復活ということは最後の一ページくらいに言及される程度のものが多いですね。

 たしかに復活の問題というのは方法論的に言えば、イエスの領域ではなくて教会の領域なわけです。しかしまさにその教会においてこそ、キリストはその全貌を示していると思うんです。つまりキリスト論と教会論というのは密接に関係していると思うんです。

 ですから史的イエスというものがあるとすれば、「史的キリスト」というものもあると思うんです。つまり、復活経験以降、キリストとの交わり、キリストへの信仰がどのように生成してきたか。これは歴史学的にかなり厳密に辿っていくことができるのです。それは史的イエス以上に聖書から可能なことです。

 原始教会と呼ばれるエルサレムの教会、使徒たちの教会、そしてパウロ、さらには後期の新約諸書、そうしたところに現れてくるキリストを誠実に受けとめていかなければ、私たちは本当のイエス・キリストとつながっているとは言えないと思うんです。
 

■私にとってキリストとは誰なのか


 史的イエスの研究は確かに不可欠です。そこで今日に至るまで得られた成果は非常に貴重だと思います。しかし同時に、それだけに頼るイエス像は思っているよりも乏しく、非常に不安定、恣意的です。ブルトマンの歴史のイエスとケリュグマのキリストの区別っていうのは、この点があらわになっているんだろうと思うんです。

 この番組では、聖書のイエス像、そして聖書のキリスト像から、さらには教義のキリスト論というふうに理解を進めていきたいと思うんです。その上でこの番組の最後で「イエス・キリストと現代」ということについて考えてみたいと思っています。別の言い方をすれば「キリストと私たち」ということです。

 「今、私たち一人ひとりにとって、キリストは誰なのか。」主イエス・キリストについてのすべての考察というのはそこに帰着すると思うんです。

 史的イエスとかキリスト論の研究とか、そうした神学的な事柄は、それぞれ自分の方法論の中で自己完結的です。つまりそれが信仰者の今とどう関わるかは主要な課題ではないわけです。でも、聖書学や教義学などが、もし、「私とキリスト」ということとつながらないとすれば、その莫大な努力というものはあまり意味がないんです。イエス・キリストという方が、今の私たちに特別の意味を持っていなければ、初めからバカらしいことなんですよ。

 私は、神学や教理上の問題だけでなくて、教会の実践といったレベルでも、キリストへの信仰というものが、今日、非常に相対化されている、あるいは無力なものとなってきている傾向にかなり危機感を持っています。欧米の伝統的なキリスト教社会でも教会から離れていく人が増えている。日本においては布教がいつまでたっても伸びない。そういったところから、すべてが相対化され、生ぬるい方向に向かっている。

 今回の番組の企画が、こうした現代人が自分にとって本当に「主イエス・キリスト」というものを取り戻す助けになればと願っています。
 

↑ページトップへ

番組ページへ戻る